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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



バタンキュー状態で眠りにつく日が4、5日続きました。
私は夜眠りにつく前、ベッドの上で瞑想することを日課にしてるので
夜の瞑想はできなかったということです。

そんなときは意識的に電車の中や湯船に浸かりながら、
鏡の前に座りお化粧をする前のひとときを瞑想タイムとします。

座って瞑想しても、横になって瞑想しても
効果は変わらないと言われています。
電車の中でも湯船に浸かりながらでも瞑想はできます。
ただ、好みの問題として私は夜眠りにつく前の瞑想が一番好きです。

電車の中では読みかけの本を読んでしまいたくなったり、
湯船に浸かり瞑想をしていてもいつの間にか眠ってしまうことがあります。

瞑想をしていて眠ってしまうのは
そのときの心や体が睡眠を必要としているためで
悪いことではないのですが

夜ベッドの上に座った状態で瞑想をするときに
眠ってしまうことはありませんし
本を読みたくなって瞑想をやめてしまうこともありません。

電車の中や湯船に浸かりながらの瞑想は
私にとってはどこか身が入らないものになっているようです。
これは好みの問題です。


数日ぶりにゆったりした気持ちで夜の瞑想を行いました。

翌朝目が覚めたとき、と言ってもまどろみの中
目も開けられず体も起き上がれない、
でも意識がほんの少し戻りつつある
十数分か、もしかしたら数十分の間

「あぁ、軽いな、身体が」

と思っていました。
身体が軽いなら起き上がれば良いようなものですが
身体が動きやすいという軽さではなく表現が難しいのですが
身体の内側がスッキリとしている感じでしょうか。

ところが、実際起き上がるころには
スッキリとしたあの感覚はもうないのです。
このまま眠ってしまいたいと思うけだるさも感じていました。

このとき、瞑想というものの効果の実感や
継続が難しい理由のひとつが見えました。


朝目覚めたときのまどろみの世界は
顕在意識・表面意識と無意識の交差地点
顕在意識がまだしっかり活動していない状態です。

そのようなときには感じられる瞑想の効果が
顕在意識が活動し始めると感じられなくなっているのです。

表面意識では感じられなくても潜在化してくれている。

朝のまどろみの時間は意識的に行おうと思わなくても
大切な瞑想タイムになっています。

考えていたことや迷い、十分消化しきれたと思っていたこと、
一通り結論をつけていたつもりになっていたことを
朝のまどろみの時間に反芻しているようなときがあり

結論をつけたはず、考えを定めたはずなのに気にしていたのか
まだ迷いがあるな、ということがわかります。


先月、瞑想教室に通って来てくださる方に連れられて
これまでこういったことに
あまり興味を持ったことがないように見える方が参加されました。

「初めての瞑想はいかがでしたか?」

CDを聴きながらの瞑想を終えて尋ねてみました。

「なんか、身体が重いです・・・」

悪いことではないし、悪いようになりませんから
瞑想をして感じた感覚をおもしろがっていただきたいと思います。




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ここのところ瞑想中に起こる身体の動き、体動に関することをあれやこれや書くことが多くなっています。

今回も一見違うように見えて、体動に繋がります。

瞑想に出会う少し前の話です。

自分が理想とする未来に向けて歩むとき、自分が何を望んでいるのか、何をしたいのかしたくないのか、ということがわかっていないと遠回りをしてしまい難しいですよね。

ある日、湯船に浸かりながら自分自身に聞いてみようと思いました。
そして望みをしっかり感じ切ろうと。

でも、できないのです。

頭で、こういうことをして、あれを手に入れて・・・
ということは考えられるのですが。

ちょうど胸のあたりがくすぐったくて、自分の望みを感じることができません。

くすぐったいという感覚は決して比喩ではなく、はっきり、くすぐったさという肉体の感覚、苦痛としてです。

なんかおかしいな・・・

湯船の中で、今日はできないけれど明日になればできるだろう、と思ったことを覚えています。
でもどうしてもできないので諦めました。

後になって思ったのは、原因は2つ。

そのとき頭で希望していることと、本当の自分が望んでいることにズレがあるから。

そしてもうひとつは、自分が何を望んでいるのかということを感じることそのものができなくなっていたから。

後者のほうが大きかったと思っています。

このことがなぜ体動と関係があるのかというと、
身体の苦痛として感じたこということ、そして、瞑想中の体動を通して少しずつ改善されていったからです。


瞑想の師、金井先生が以前

ビジネスマンとして成功をして欲しいものを手に入れても満足というものがなく
なんかおかしいな、
と思われたというお話をされていたことがありました。

私は欲しいものを欲しいと感じることができないという、満足以前の問題でした。

たとえば、筋トレなら筋力アップ
ダイエットなら体のシェイプ
英語の勉強なら英語力など
効果を想像できますが瞑想は違います。

瞑想は長く続けているうちに
こういうところがすごく変わったなと気づくことがあります。
どんなに素晴らしい変化でも気づかないかもしれません。

効果は絶大ですが、そこに瞑想の継続の難しさがありますね。

瞑想のご紹介のところに
「瞑想はその人にとって本当に必要なものを与えてくれます」
という先生の言葉を書いています。

私がこの言葉をチョイスした理由は
こういうところから来ているのだと思います。




応援ありがとうございます<(_ _)>





2019.07.22 瞑想は縮図


瞑想を始めたばかりの方やこれから始めようと思っている方に
瞑想のことを説明しようとするとき
私はよく、自分の体動=瞑想時に起こる肉体の動き
のことをお話しします。

瞑想の有益さはもちろんですが
倦怠期のこと、続けることの難しさ
毎日の瞑想をおすすめしたい理由など

単なる体の動きだけではないことを
お話ししやすいからです。

ストレスが高じると体に変調をきたすことがあります。
イライラや緊張で胃がキリキリ痛む人、
頭痛を起こす人
お腹に変調をきたす人

持って生まれた体質があり
変調が起こる場所は人それぞれです。

そして、少々のストレスでも平気な人
少しのストレスでもすぐに体調不良になる人もいます。

どのようなストレスが体に溜まっていたのか
瞑想を始めたころ、私の体の中の筋膜なのか筋肉なのか
もしかしたら内臓なのかもしれませんが
溜まっていたものが出てきました。

ただ、それはあまりにもj凝り固まりすぎていて
出たくて出たくて仕方がないのに
出て来れない存在を感じ
一筋縄ではいかないこともわかりました。

筋膜や筋肉が緩もうとする際、一緒に出てくるのか
出てくるからこそ緩むのか。

出したらスッキリする、というような
簡単なものではありません。

これまで自分がしっかり感じてこなかったもの、
観ることを避けてきたものが
体の動きや感覚と一緒に出てくるので
苦しみとしかとらえられません。

そこで、「出て行ってくれないかなあ」
「何とか出そう」
など思い努力をしまうと、それは瞑想ではなくなってしまいます。

自我から離れるために瞑想をしているにもかかわらず
そうしてしまうと、精神統一や療法になってしまいます。
心を自由にするのではなく体に囚われて
しまうことにもなります。

そうこうしているうちに(数か月)
苦しみはおさまりましたが
それはただ単に自分の深みに下りていくことを
休止していただけだったのだと思います。

体が自然に動くというような体動ではなく
もっと深いところからえぐられるような体動を感じそうになると、
スッと逃げるようにしている期間が
結構長く(数年)続きました。
もったいない話ですが
その頃はそうするしかなかったのです。

瞑想は人生そのものですね。
受け入れることを拒んでいる姿です。

そして瞑想はその人そのものだと思うのです。
どのような瞑想が素晴らしいかなんて無く
その人にとって必要だというだけではないでしょうか?

瞑想を続けていて思うのは、
日常の困りごとや悩みが契機になり
そういうときの瞑想が、より自分の深いところを
体ごとえぐって改善してくれるようです。

後になってからだからこそ言えることなのでしょうが、
困りごとに感謝の念さえ湧いてきます。

10年で悪くなったものは治すのに10年かかる
20年で悪くなったものは20年かかると言われていますが

不自由な心で10年生きてきたのなら
自由な心になるもの10年かかるところですが
毎日の瞑想でほんの少しはその期間が短くなることを
祈ります。





応援ありがとうございます<(_ _)>







リュックサックがひとつあってもいいなと思っていました。

若いころはビジュアル重視だったのが
最近は、持ち物や着る物など
重さや肌触りなどが
とても気になるようになってきました。

軽くて、柔らかな素材で
程よい収納ポケットがあり、
ビジュアル的にも好みに合うリュック。

もちろん予算内であれば
買ってもいいかなと思っていましたが
なかなか出会えませんでした。

ところが、数日前
「これ、けっこういいんじゃないの?予算内だし!」
と思えるリュックを発見。

じっと手に取り眺めたり肩にかけてみたり・・・

でも、やめました。
自分の弱点・欠点・癖を直していこうという
ルール作りのセミナーで
私は、「欲しいと思ってもその時すぐに買わない」
というルールを作ったからです。

セミナーで1人、1つずつ自分のルールを発表というとき
私はそのルールを発表してしまったのです。
声に出して宣言したことで
破りづらくなってくれたかもしれません。

買うのをやめたとは言え
同じフロアをひと回りして、またそのお店の前を通り
じっと眺めました。
往生際はかなり悪かったのですが。

自分で作ったルールを守ると
かなり気持ち好いということに気づいています。
ささやかな成功体験です。

どうしても守れないとしたら、
そのルールは自分にとって間違っているのだとか。

こんなにすぐに表面化してくれて
守れたルールはやっぱり必要だったのだ!
と思っています。

人から見ると小さなつまらない成功体験かもしれませんが
けっこう嬉しいものです。

今は、あのとき買わなくて本当に良かったと思っています。
流行っているから欲しかったのです。

いつもはその逆、つまり
これ必要なかったな、と自己嫌悪が襲ってくるので
そのルールを作りました。

そのときすぐに買わない、ということは
一度家に帰って、どうしても欲しい、必要と強く思えば買う。
という緩さを自分に許します。

必要な物を積極的に探し、見つかった時も買います。

今回はリュックはもう欲しくなくなりました。
成功体験のちょっとした嬉しさで
不必要な物欲が消滅です。

今持っている、荷物がたくさん入るバッグが
ダメになったときに考えることにしましょう。

成功体験の嬉しさを無駄にしたくない
という気持ちが生まれて
正のスパイラルが続くといいですが。


応援ありがとうございます<(_ _)>



2019.06.18 瞑想健康法


ユーチューブで瞑想中に起こる体動の効果がアップされています。

健康維持に関することにとても興味のある私は、
瞑想中に起こる体動も、瞑想を楽しく続けることができた
要因のひとつだったかもしれません。

瞑想を始めたころは、体に溜まったものが
出て行ってくれる感覚がありました。

そして、上半身をグルグル回したくなることも
ずいぶん長く続きました。

今は、外から見ると体は動いていないと思いますが
体の中、特に上半身の内部が動いている感覚があります。

瞑想は何かを得るためにやっているのではなく
自分を観て心も体も自由になるためにやっている
ということを忘れなければ
瞑想中に何が起こっても、感じても
逆に何も感じなくても
自分にとって最も適したことだという安心感があります。

日々の生活の健康法として
体のどこかの調子が悪くなったら
こういうことをしたら改善しやすい、というような
経験に基づいた自分なりの方法はいくつかありますが
健康のために継続的にこれをやっている、
というものはありません。

健康に関するテレビ番組を見たり本を読むことは好きで
今、自分の体は何を望んでいるかな
というのを考えたり、体の感覚に耳を澄ませるのが好きで
その時々に気まぐれに今の自分の健康に良いというものを
取り入れたり楽しんだりする程度です。

食に関しては、最近タンパク質が足りていないなとか、
ここのところ塩分や糖分の取りすぎだと思えば
軌道修正しますが
基本は食べたいものを食べています。

結局のところ、私の体が喜んでいると感じるのは
良い睡眠、腹八分目、よく噛んで食べること、
きれいに歯磨きすること、心の安定。

これって誰にでも当てはまることですね。

ただ、避けていることがひとつ。
同じものを続けて何ケ月も何年も摂取することです。
これだけは、なんだかイヤーな感じがするのです。

体に良いと言われる食材や食料品、サプリメントなど
どんなに良いものでもその中には微量かもしれませんが
自分の体に合わないものや
悪いものが含まれているかもしれません。

継続は力なり、ということは
良いものを続ける力でもあり
悪いものを続けることの力でもあると思うのです。

とはいえ、白ご飯が大好きで
お米を食べない日はなく
お米の種類も長く続けます。
塩や砂糖もですが。


肉体は借り物という想いがあるので
大切に扱いたいという気持ちと
だからこそ今は健康でいられてありがたいけれど
明日はどうなるかわからないという
気持ちが少しあります。

健康や体力に関しては自信満々というのは
ちょっといただけないのではないでしょうか。



応援ありがとうございます<(_ _)>








「希望がかなえられず、何事も上手くいかない、不安しかない」
10年以上前からそう言うことが多かったBさん。

ポジティブになれず、行動力がないのが幸いしてというか
あたふたしたり自暴自棄になりかけても
そこで思いとどまり、無謀なことをしない慎重な人です。

抱えていた問題が少しずつ少しずつ改善してきて、
苦節10年、思いもかけず仕事が上手くいき、
希望が成就しそうだと言うのです。

「よかったねぇ!」

ところが、当の本人はちっとも嬉しそうにしません。
周囲の人に報告をするとき半泣き状態。
もちろん嬉し涙ではありません。

ずっと望んでいた結果がようやく手に入ろうとしているのに
断るかもしれないという勢いでした。

涙の原因は恐怖と不満。

今更状況が好転しても、ということです。
これまでの自分の不遇の時が許せず
不平不満が溢れ出てきていました。

自分の今の幸不幸には全く関係のない
第三者の話にまで及んだときには

「あのねぇ~何言ってんの?!!」

悩んでいる人にお説教をしても
効果はあまりないということはよくわかっていましたが
さすがにこのときは、口調がきつくなってしまったのを
自分でも感じました。

変化に対して私たちは抵抗を感じます。
望みが叶うことも幸せになることも大きな変化。
恐怖心が出てくるものわかります。

不遇だったからこそ、不平不満が溜まってしまった
と言えるのですが、
たとえ満足いく状況が手に入ったとしても
その不満は消えてなくなるわけではないのですね。

人は望む状況が手に入ったら、
不満の居場所が無くなってしまうこともまた
辛いのかもしれません。

そしてBさんはある意味素直で正直な人だから
それを表現しているだけなのかもしれません。

「幸運を祈ります」 とよく言いますが
「本当は幸運なのだから、逃さないよう祈ります」




応援ありがとうございます<(_ _)>






得意なことというのは、
あってあたりまえの能力だから気付きにくい。

それに加えて、得意なこととして分類し、
認識しにくい種類だから気付かない
という側面もあるのではないでしょうか?

数字に強くて経理の才能がある、
手先がものすごく器用で物作りの職人をしているなど

仕事として活かしやすい得意なことを持っている人は、
とてもわかりやすいですね。

ところが、金井先生が例えられていた
ユーモアがあり冗談が上手いということは

お笑い芸人や漫才の台本を書く脚本家にならないなら
仕事に結びつくわけでもないし、

したがって社会から評価を得られる、
ということに直接つなげられないと思ってしまいそうです。

冗談が上手いということは自分で知っていても
そんなことを得意なこととしてもいいの?
とも思ってしまいそうです。

でも、シビアなビジネス社会に生きている人が
ユーモアがある、冗談が上手いことを抑圧することなく
人を傷つけず職場で表現できれば、
人を楽しませ場を和ませることができます。

自分も個性を抑圧しないのでイキイキできる、
イキイキして、人から好かれたり面白がられたりすれば
仕事に好影響をもたらさないはずがありません。

要領が悪いけれど実直でコツコツ努力できる
要領が良く抜け目がない
というようなことも得意なことに数えてみてはいかがでしょうか?

仕事としては、こういう得意なことがある
コミュニケーションの場で発揮できるのはこういうキャラクター
全人格的には、こういう傾向がある
どれにも分類できないけれど、なんだか得意。

そう考えたら、一人の人がいくつもの得意なことを
持っていると言えるのではないでしょうか?


私が仕事としてできる得意なことというのは
決して好きなことではなく
しかも若い頃はそういうことが得意だなんて
思ってもいませんでした。

でも仕事に関わらず、確かに感じられることや感覚
「共感」をキーワードに活かすようにすると
上手く行きやすいようです。

できればこういうことを仕事にしてみたいな
ということはあるのですが
それは残念ながら、どうも向いていないようです。





応援ありがとうございます<(_ _)>







ユーチューブで金井メソッド 瞑想 好きなことと得意なことの活かし方がアップされています。

それに因み今回は、私自身の好きなことと得意なことをお話ししてみたいと思います。

2日続けて電車の中で乗客同士、
喧嘩をしているのを目撃したことがあります。

争いごとを好まないこの日本で
2日も続けて見ず知らずの他人同士が
喧嘩をするところを目撃するなんて、そうあることではないですよね。

これは共時性に間違いないなと思いました。

ちょうどその頃私の友人2人が、もめ始めていました。

同じ車両の中で喧嘩が始まったら、巻き込まれないように
注意しませんか?

それと同じで、友人たちのもめ事に自分は巻き込まれないようにしよう、
と気を付けることにしました。

それから数年後のある日
家の洗濯機が突然カタカタと変な音を出し始め脱水できなくなりました。
すすぎまではできるのですが、
脱水になると止まります。

洗濯機の寿命はおおよそ10年と言われているそうです。
20年近くもってくれたので、
修理など考えることもなく買い替えることにしました。

その翌日です。
電車に乗っていると、目的駅の手前で徐行運転をし始めたのです。
そして、電車を降りて駅まで歩いても、
1分とかからないだろうというところで
電車は停止してしまいました。

すると「今朝、電車内で異音がし、点検を実施したため
順次電車に遅れが発生しています。
ただ今、信号待ちをしています」

というような車内アナウンスが流れました。

異音?
私は異音という単語にひっかかりました。

洗濯機が壊れる前に変な音を聞いた
次の日だったからです。

電車が止まった原因が異音だなんて。
何かの共時性かもしれない・・・
突然止まるという共通点もあります。

ただ、このときは半信半疑でした。

もし共時性だとしたらその意味は?
そもそもこれは本当に共時性なのか?
他に何か気付いていないけれど
似たようなことはなかったか?

グルグルそんなことを考えていました。

おかげで電車が突然止まっても
退屈もせずイライラもせずに済みました。

この日は少々電車が遅れても、差し障りのない
シチュエーションだったのですが
自分自身に呆れるというか、笑いそうになりました。

そんなことを考える前に考えることがあるでしょ!
自分自身に突っ込みを入れたくなったのです。

結局、洗濯機の故障と電車の異音は
共時性というほどではないかもしれないけれど
バタバタしやすい時期だなとは思いました。

そしてこのとき、私はよほどこういうことを考えるのが好きなんだなあ
ということに気付いたのです。

でも、これは好きなことというより得意なことだと今は思っています。

無意識的な思考回路ですし
そういうことを考える自分が
以前は嫌いだったからです。

科学的ではなく、数字や数値で表されることでもない
ともすると迷信めいたことと捉えられるかもしれませんから。

それが徐々に、そしてときどきグンと
そういう自分を好きになってきたように思います。

共時性を意識した2つの出来事でしたが、
何も共時性に限ったことではありません。

目に見えないこと、科学的なことではないけれど
確かに感じられることや自分の感覚を信頼し

そのことを基に、自分や周りの人の
健康でも仕事でも人間関係でもですが、
いかに現実生活をより良くできるかを考えたり
創意工夫をすることが好きで得意なことです。

もしかしたら、自分や周りの人の現実生活をより良くするということは 
得意なことではなく自分が得意なことを活かす場
なのかもしれませんが。

創意工夫する中で、苦手なことに出くわすことは多々あるのですが
そのときはまた、自分の勘や感覚を信頼することにしています。

瞑想に興味を持つ人の中には
自分にあまり自信が持てない
得意なことがよくわからないという人もいるのではないでしょうか?

そういう人の中にも、
苦しみから逃れるためであっても
瞑想に興味を持ったということそのものが、
得意なことにつながっている人がいるかもしれませんね。





応援ありがとうございます<(_ _)>






もうすぐ平成が終わりますね。
心が平和に成ることは良いですが

世の中はその名の通り平らになったようです。
平和は好きですが平らはちょっと・・・
贅沢でしょうか?

私個人としては
平成の時代に瞑想を始め、そこまでは想定内でした。

でもまさか自分が瞑想教室をするとは思いませんでした。
想定外です。

細々の瞑想教室ですが
刺激的です。

次の時代はどういう時代になるのでしょうか?



応援ありがとうございます<(_ _)>






ユーチューブで「瞑想を継続するコツ」が公開されています。

金井メソッド 瞑想を継続するコツ

その中で、習慣化として歯磨きのお話しがありました。

私は歯があまり強くなく
治療済ですが虫歯になった歯がたくさんあります。

子供のころに通っていた歯医者さんには
「歯は、体質!」
と言われました。

今でこそ、歯ブラシを当てる角度や動かし方
適した歯ブラシや歯磨き粉を教えてくれたりと
予防医学に力を入れてくれますが
昔はそうではなかったですよね。

かれこれ20年以上、2ヶ月に1回程度
同じ歯医者さんにお掃除兼定期健診に通っていますが
通いはじめのころは、きれいに磨いているつもりが
歯科衛生士さんに、磨き残しを指摘されるのが常でした。

でも今では、「いつもきれいに磨けてますね~」
と言われるようになりました。
上達しました。

そこは口腔外科でもあるので
先日は舌のチェックもしてもらいました。

ただ、やはり加齢には勝てませんね。
以前は瞑想中に起こる
「体動」 (瞑想中に自然に起きる体の動きなどの事)は、
上半身をグルグル回したくなるものでしたが
今は、口腔(ハグキやアゴあたり)にきます。
そのあたりが弱っているのでしょう。

なので日々の生活で
歯磨きをせずに眠ることなど考えられません。
あるとしたら、体調不良で起きあがるのも辛いという日です。

疲れていて「このまま眠りたいけど・・・あぁ歯磨きしなくては・・・」
という気持ちの日はあります。

でも歯磨きをしないことを考えるとちょっとビクビクです。
1日や2日、歯を磨かなくてもどうってことないだろう
とは思えないのです。

さて、同じように習慣としての瞑想ですが、
私は夜寝る前に瞑想をする習慣にしています。
あまりにも眠くて、つい横になってしまい
眠ってしまったという日も、たま~にはあります。

1日瞑想をしなくても歯磨きをしないときのように
心配にはなりませんが
もし数日間瞑想をしない日が続くとどうでしょうか?
瞑想人生の中ではそういうときももちろんありました。

そういうときの気持ちは 「早く戻さなくては!」
という表現がいちばんピッタリ。

何を戻すのかというと
瞑想をしないことで、本来の自分の在り方とのズレです。

ズレた自分でいると生活が
円滑に進まない。
そのことへの恐れにも似た気持ちがあります。

恐れや不安は不幸の元凶ですが、
本来の自分からズレることや
健康に関する習慣を怠った結果のことを考え
その結果を恐れることは
不幸の元凶としての恐れとは違います。
こうなったら嫌だ、という意思でしょうか。

私にとっては持ち続けても良いもので
だからこそ瞑想も歯のお手入れも続けられます。



応援ありがとうございます<(_ _)>