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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



先日、あるテレビ番組でフランス生まれの
認知症ケアのことをやっていました。

認知症の人は視野がとても狭いそうですね。

認知症の人の視野をテレビ画面に映し出していましたが、
目線の先は丸く見えているのですが
その上下左右は真っ暗でした。

「えっ!こんなに見えてないの?」
驚きでした。

視野が広いと横から話しかけられても
そして、横から急に手が出てきても
事前に察知できるものですが

視野が目の前のほんの少しになっている
認知症の人にとっては
驚きと恐怖になってしまうのは当然ですね。
それでなくても認知機能が落ちているのですから。

そのため、真正面からアイコンタクトをとり
コミュニケーションをとることで
認知機能が回復したわけではくても
周囲の人への困った対応の改善がみられることがある
というケアでした。

その他にも、触れたり支えたりする手の強さや向きひとつで
相手が支配と感じてしまうなど、
見ていて、ちょっとした「目からうろこ」状態でした。

老いても、認知機能が衰えても
人としての尊厳性に変わりはないということが根底にあり
見る 話す 触れる ケアのようです。

経験や体験、よく調べもしないで
メディアが報道していることが正しい情報、
すべて素晴らしい
ということはしないようにしたいとは思いますが

人としての尊厳性を認めていれば
「ケア」としてではなく、「そういう接し方になるよね!」
そして、認知症の人がどう見えているのか、どう感じているのか
たとえそれが認知症というものでなくても
「知る」ということの大切さを想いながら見ていました。

高齢になると若いころより視野が狭くなる
ということは知っていましたが
私は、周囲のお年寄りに話しかけても
気づいてくれず、肩をたたいて知らせることがありました。
それも結構強くたたいていたかも・・・

悪気はなく、そして自分では十分優しくしている
と思ってはいましたが。

私自身は、認知症の介護はしていないので
実際その立場になったときは辛いだろうなと思っています。

ただ、老いても認知症になっても
人間としての尊厳は何ら変わらないと
いうことを、
認識しているのといないのとでは
気持ちや態度が少しは違うのではないでしょうか。



応援ありがとうございます<(_ _)>



2018.09.29 瞑想教室


瞑想教室を始めることになりました。

拒否し続けていたにもかかわらず
今は、義務ではないけれど
「やらなければ」といういう気持ちと
ワクワクしているのが不思議です。

金井メソッド瞑想は
心を開いて、想いから離れ、自分を観る
というとてもシンプルな瞑想法です。

瞑想の先生からは瞑想を伝えるときは
自分の言葉で伝えるようにと言われています。

私が初めて瞑想したときの
思いもよらなかった衝撃のひとつが
自分の中にある余計なものが
出て行ってくれる喜びだったということもあり
こちらのブログでも捨てる瞑想としました。

興味を持ってもらえることがまず大切なので
瞑想教室も最初は、捨てる瞑想ということを
前面に出したいと思っています。

絶対これでいく!というような
かたくなな気持ちはないので
途中で変えるかもしれませんが。

瞑想すること、続けることの素晴らしさは
どれだけ語っても語りつくせない
という自信だけが頼りです。

でも、これはいいですよ!と
力説するものでもないですね。

ご縁があれば嬉しいし
少しでも楽に生きられるようになるために
瞑想を知って、続けていただけたら幸い
という気持ちで
そのために何ができるのか
考えていきたいと思っています。




応援ありがとうございます<(_ _)>





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絶対があるとしたら絶対がないということだけが絶対。

半分冗談ぽく、でも本気で
よく言っていました。
自分の体験からの言葉です。

なぜなら、「これだけは絶対ないわ~」
と思っていたことに限ってすることになったり
あり得ないと言っていたことが起きるからです。

そんな私ですが、瞑想教室というものをすることだけは
絶対にないなんて言っていました。


応援ありがとうございます<(_ _)>





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私が育った街には海があります。
その懐かしい海に行く機会がありました。
たまたま海の近くに用事があり
せっかくなので。

若い頃には自分と同じような若者でいっぱいだった海は
今では夏だというのに海水浴客は
ほとんどいません。

海岸沿いをジョギングしている人の方が多かったですね。

記録的な酷暑の中、日傘を差して砂浜を歩いてみました。

砂浜に並行して走る公道を歩くと
焼けつくような照り返しと、むせかえるような空気で
茹であがってしまうのではないかと思うほどなのに
海辺は海風が強く、とても爽やかです。

海の水を手で触り、砂浜に日傘を差したまま
しばらく座っていました。
波の音と風の音しかありません。

このまま時間が止まればいいのに・・・

こういうときには瞑想をするのかと思いきや
瞑想をしたいとは思わなかったのです。

それは、その瞬間瞬間がもう瞑想そのものだったからです。

心は開かれて
風や波の音が想いをかき消してくれます。
自分を観るというより自分そのものでした。

しばらくするとなんにも考えていませんでした。


金井メソッドは、昔々、太古の昔から
人が自然とともに生きていたときから
「瞑想」と名付けずに普通に行っていたことを
先生がすくいあげたもの
そう思いました。

そうして、うだるような暑さの中
家に舞い戻り
喉の渇きをいやそうとスイカを食べました。

清涼飲料水をいくら飲んでも
のどの渇きがなかなかとれないのに
スイカをひとかじりすると、
お腹の底からジンワリ冷やしてくれます。

体が喜ぶ、これこそが自然です!




応援ありがとうございます<(_ _)>




2018.07.14 お祈り


この度の西日本大雨の被害を受けられました皆さまに
心よりお見舞い申し上げますとともに
亡くなられた方々へのご冥福を心よりお祈りいたします。

身近な方を災害で亡くされた方々の気持ちを思うと
胸が傷みます。


タイの洞窟からはようやく13人全員が救助されました。
ただ、救助隊員1人が亡くなったということがとても残念です。

引率のコーチはタイの元僧侶だったそうですね。
全員が洞窟の中で瞑想をしていたのが良かったのではないかと
マスコミで取り上げられていました。

瞑想者は、「やっぱり瞑想ってすごい」
と思ったかもしれません。

数十人が集合して瞑想をすることがありますが
私はその瞑想がとても好きです。

少年たちの恐怖心も軽減されたでしょうか。

でもなぜ、そんなところに入ってしまったの!
もう少し賢明さがあったなら、とも思わずにいられません。

そして、なんと洞窟にはお祈りのために入った
というではありませんか。

瞑想ってすごいとか、そういう話ではないな
と思って、なんとも言えませんでした。

1日も早くみんなの体力が回復することをお祈りしています。



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今回のリトリートでは
エネルギー、チャクラ、悟りについてのお話しが
特に印象に残りました。

問題の多くがエネルギー不足、
エネルギーが強ければ少々何かあっても
どうってことないもの・・・・というところが特にというか

確かにそうだなと思えました。

リトリート中、久しぶりにお会いした方々と話しているとき
自分の自我の特徴という話題が出ました。

自我の特徴?というと難しい言い方ですが
心の平安を妨害する自分の性格
つまり「欠点」ということだすると・・・
多すぎてひとつに絞れません。

でも、ここ最近の生活の中から
思いついたこととしては
「こだわりの強さ」というものがあります。

自分が気になることには
自分なりにとことん向き合わないと気が済まないのです。
なぜ自分はこのことをここまで突き詰めたいのか?
その理由まで自分に求めて
自分なりの納得がお腹の中できてはじめて
飽きたりあきらめたりということになります。

誰に承認を求めるでもなく
自分の納得が欲しいだけなので
時間の無駄だったり遠回りになったりします。

「今はなんで幸せじゃないんだろう・・・おかしい」
漠然とした自分への疑問の答えも
探さなくては気が済まない性格のおかげで
瞑想に出会えたので
長所も短所も表裏一体です。

ただ、友人たちには「こだわりのない性格だ」
とよく言われます。

そういう人は私の日常生活面や対人関係を見て
言っているらしいのです。

もしかしたらこだわりを上手く隠しているのかもしれませんが
隠せるほどのものですから
やはりこだわりがない部分もあるのです。

人がどれほど日常生活面や対人関係で
こだわりがあるのか、
その人になってみることはできないので
自分との比較はできないと思っていますが

ある部分では〇〇だけれど
ある部分では〇〇ではない。

人の性格は単純ではないものですね。

そして、このブログの内容からでしょうか?
「ブレないですね」と言われますが
実はしょっちゅうブレています。

そんな性格ですが
「自分の内面と向き合うことに関して」
はとても好きです。

「自分の内面と向き合う」という世界へ振り向くと
劣等感も疑問も不安もありません。

どんなに切っても切っても捨てても捨てても
想念が蘇って来ようが気になりませんし

瞑想というのは良い瞑想、悪い瞑想というもはなく
成功も失敗もありませんが
瞑想を始めたころから
自分の瞑想が上手く出来ているかどうか
などということも気になりませんでした。

人がどんなに素晴らしい瞑想体験をしたと聞いても
うらやましいと思ったこともありません。

でも「ビジネスがとても好き」という人は
お金儲けが上手いのでしょうね。
それはとてもうらやましいです。

自我から離れることに努めていて
「まだまだだなあ」とは思っても
「よし!気付いた!ここからだ!」
「早く瞑想したい」
というような気持ちでいられます。
だからといてすぐにどうこうとはなるわけではないのですが。

私の強さは、「精神世界で成長したい」
という気持ちの部分だけで発揮できています。

でも最近は他の面でもかなり強くなってきたかもしれませんが。

瞑想中に劣等感も疑問も不安もなくなる、という意味ではなく

自分の内面と向き合う世界が自分にある
ということが大好きなので、
どんな瞑想かなんて気にならないのだと思いました。

エネルギー(瞑想への)が強ければ
何があってもどうってことはないもの
ということなのかもしれません。






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瞑想の即効性の一例をもう少し具体的に
表現してみます。

私は普段は、国民病ともいわれている腰痛や肩こりに
悩まされることがありません。

睡眠不足や食べ過ぎ、疲労などに気を付けていれば
凝りなどなくスッキリしています。

ところが、行きつけの美容院では、カットやパーマをすると
必ずマッサージサービスをしてもらえるのですが

美容師さんに、「凝ってますねぇ~」
と言われることがあるのです。

「肩こりはまったく感じないんですけどねぇ」
と言う驚かれます。

「自覚のない肩こりはやっかいですよ~」
なんて言われます。

でも瞑想中は、肩こりや首こりがあるときは
わかります。

痛みや不快感を感じるわけではないのですが
体が一生懸命
「ここの凝りをなくしたい」
「元に戻りたいとい」
と、訴えてきているような
細胞の動きを感じています。

そういうときに自分で元に戻そう、
治そうとしてしまうと
自我を働かせるだけになり、
瞑想ではなくなってしまいますから

ただ、じっと見つめるだけです。

自分自身のことを細胞レベルで
感じたり見つめたりする瞬間が
すぐにやってくるから即効性があると
思えるのかもしれないですが
それが面白いのです。

見つめるだけで 「効く~」「効いた~」 と
思える日もあるし
そうでない日もあります。




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歌手の西城秀樹さんが亡くなりました。
子供のころ、ヒロミ派 ゴロー派 ヒデキ派
と分かれたものです。
若いころの派手なアクションや情熱的な歌唱を思い出しました。

ここのところ、他にも続けて有名人が亡くなり
テレビでは、亡くなった人の功績や
どれだけ素晴らしい人だったかなど伝えて称えていました。

生老病死 諸行無常 栄枯盛衰 老いは自然 
ということを感じながら見ていました。

私はそういうことは
自分や自分の身の回りの人を通して観るのが
今はきっと嫌なのだと思います。


以前石原裕次郎も美空ひばりも大嫌いだったけど
亡くなった後に大ファンになってしまった
という人がいました。

それまでは意識にも上がっていないものが
亡くなって初めてその良さに気付くのか
死や終わりを通してでないと気付けないのかと思い
少し違和感を覚えたりもしたのですが

亡くなったり無くなったりすることで
意識するのも自然なことなのかもしれませんね。

私の身の回りでも
行きつけの市場の中の商店が
いくつか立て続けに閉店してしまいました。

おじいさんとおばあさんが営んでいて
おばあさんが病気になったとか
年で腰が痛いからもうできない
などの理由です。
さびしいですが仕方ありません。

私は今、どうも感受性がそちらの方向に
開かれているようです。
少し自分から離れた場所を観て
諸行無常に慣れていこうとしているのだと思います。



応援ありがとうございます<(_ _)>



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瞑想を始めた頃、
瞑想をしていくことで何を求めるのか
という問いに対しての私の答えは
 「心の平和や平安」 でした。

その頃、悩みがなかったわけではないのですが、
今思えば時間のムダでしたね。
でも人間ってそんなもの。

たとえ幸せだと思える状況や環境が手に入ったとしても
それを失う不安があったり
良いことがあったとしても、
その良いことが続かず、
きっとまた何か不満や不安を見つけて
不幸を探してしまうはずだと思っていました。

心の平和や平安というと
のほほ~んと生きることだと勘違いされそうですが
のほほ~んとは違います。

たとえばアスリートのように、
勝ち負けが重要で
肉体の限界に挑戦する人は

「平常心」と言うことはあっても
心の平和や平安などという言葉は
絶対出てこないのだろうな
と思いながらオリンピックを見ていました。

確かに激しく強さが必要なところに
身を置くことは、心の平和が乱れることが
多くなるのは仕方がないことだと思います。

でも、生まれながらの個性として
アスリートや勝負の世界で生きる人でも

やっていることそのものが
本当にやりたいことで

そんな自分自身に葛藤や不安がなく
充足感がある状態なら
心は平和な状態と言ってもいよい
のではないでしょうか。

前回、瞑想の即効性などと言ったのですが
即効性といっても些細なことがほとんどです。

そして、それは
瞑想以外の時間、日々の生活の中で
自分にとっての幸せは何なのか
自分が求めているものは何なのか
今の問題の原因っていったい何なのか
どうすれば良くなるのだろうか
それらを手に入れるためにはどうすればいいのかなどを

一生懸命考えたり努力することの応えとして
(答えではなく)
瞑想中の即効性があるだけですね。

そういう意味からいうと、
心の平和を目標に長く長く瞑想をしてきて
今あえて思うのは

瞑想は大切だけれど
自分の心や行動がどちらを向いているのか
どういう心境で暮らすのか
ということのほうが大切なのではないかな
ということに行きつきました。

私は瞑想の力なしでは
そこに行きつけなかったということでした。



応援ありがとうございます<(_ _)>







2018.01.31 瞑想の即効性
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瞑想の効果は、自分自身ではあまり気づかないかもしれません。

でも、たまに会う人には、瞑想をしている人の変化が
わかるそうです。

瞑想を1枚の布にたとえてみます。

布の縦の糸は
長く瞑想を続けていくうちに
その人の在りようが変化して
その結果、それまでの苦しみや
行き辛さが軽減している
というものです。

そして、私にとっての
瞑想という布の横の糸は
「 これほど即効性があるものを他に知らない 」
というものです。

たとえば、最近では瞑想中に体が大きく動くことは
少なくなりましたが
その代わり、人が見てもわからない
体の中に強めの体動がいつもあります。
気持ちも軽くなります。

これはとても嬉しいことなのですが
ひとたび瞑想に入るときには
そのことを求めないようにという心構えだけは
持つようにしようと思っています。

人様に瞑想をお伝えするとき
瞑想の縦の糸をお話しすると思います。

横の糸は、あくまで個人的感想で
ご利益的に解釈されると困るからなのですが

そういえば、つらそうな人に瞑想をすすめたとき
すぐに自分の苦しみをなんとかしてもらえるものではない
と思われたようで、興味を示してもらえないこともありました。

ただ、私の横の糸には難点があります。
即効性はあるのですが
持続性がまったくないのです。

持続性がないので瞑想を続けなくてはいけません。

横の糸は、よく眠れるとか
なんとなく気が楽になった、など
人それぞれ

もしかしたら、
よくわからないけれど
なぜだか瞑想したくなる
という人もいるかもしれませんね。

そして縦の糸は、長い年月をかけて
見えて来るものだと思います。




応援ありがとうございます<(_ _)>