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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味

arbor

先月のこと、
自称幽霊会員のWさんのお住まいの地域が
大雨とニュースで知って
心配になったのでお電話してみました。
幸い被害はなかったとのことで、よかったです。

歴史、花、オペラ、他にも芸術面の趣味の多いWさんですが
とても知的で合理的なので
最初、感の波動の人だと聞いた時は少し意外でした
という話から面白い話になっていきました。

その内容をブログに書いてもいいと快くOKしていただきました。
ありがとうございます。

---ある日、コンサートに行ってドイツ歌曲を聴いていたら
突然、こんなイメージが出てきたのよ~

---国はイギリスかドイツ。
東屋(あずまや)のようなところのテーブルで
私が刺繍をしているのよ。
馬をつれた使用人のような人も観えたわ。
たぶんメイドさんとかいるはずで
家事なんかをしなくてもいい環境やと思うの。

---そのイメージがものすごくシックリきたのよ~
ほら、私、働くの好きやないでしょ!
アッハッハ。

「それって、Wさんの過去生ってこと?」

---さあ、過去生と思えたものは以前に夢の中と、
他にもイメージとして出てきたことはあったけど、
それはどうかなぁ。

---ただ、そんなことよりそのイメージが
働くことが好きでなく、できれば家事もしなくていいのなら
したくないっていう自分にシックリきたのよ、
ふに落ちたっていうかねぇ。

Wさんは社会的にも成功された方です。
リタイア前に大学で教えるという話もあったそうですが
キャリアに興味もなく、早々にリタイアしたとのこと。

リタイアしてからつくづく自分は働くことが好きでないな
と思ったと以前から聞いていました。

私はといえば瞑想を始めてまだ数日という頃、
顔を洗っているとなんの脈略もなく、

今生に影響を与える前世で
すごく天真爛漫に生きたため人やさまざまなものへの
感情移入が少なかったので
今回生まれてくる時、感応しやすい質を選んだな
と自分の中から聞こえてきたことを想い出します。
Wさんと違って映像として見えたわけではなかったのですが。

Wさんは、出てきたイメージが今の自分に対してシックリきた
という表現を使われましたが
私は、納得という表現がぴったりきます。
ここはあえて受け入れるという表現ではなく。

ひょっとしたらイメージや心の声によって納得できたわけでなく
自分自身に納得できる瞬間
イメージや心の声という表現が出てきたのかもしれません。

感性を使って納得をして感性で表現するひと
行動して納得を見つけ行動で表現するひと
経典を学ぶことによって納得し知性で表現するひと

いろいろですね。



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road

「 私たちは自分自身に出会っている 」
「 人は播いた種を刈り取らなければならない 」
「 因果応報 」
「 おてんとうさまが見ている 」

アメリカ人のエドガーケイシーはクリスチャンなので
上の二つを言っていますが

この四つの表現は私の心には同じに響きます。
心が弱っている時期に勇気を与えてくれました。

今なにかを刈り取っているとすれば
刈り取りが済めばいいんだ
すべては変化していくから今つらくてもいつかは変わる。
とすると、未来は今次第なんだ!
なんの証明もないけど、そう思えるとがんばれる
というか、そう思わないとやってらんない。

その延長線上に過去生という考え方があるのですが
過去生でも自分の今生の過去でも
同じでした。

誰のせいにもせず生きることのできる
心が弱っている時の支えになってくれる考え方でした。

道徳的に生きようとも
清く正しく美しく生きようとしていたわけで
ないつもりで、もちろん今もしていませんが

瞑想をするようになる前は
少しは(いえ、けっこう)
そういうことに縛られていたのかもしれません。

金井先生に過去生を今に生かすことができるのは
それは過去生ゆえでなく信じる力によるもの
なんて言われても

信じる?
私は信じていたの?
信じるという言葉がピンときません。

信じるもなにもないほどそうであった、としか
言えません。

でもそれが本当の信じる
ということなのだろうなと思います。


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horse

ある合宿で、冗談好きの人が
先生はケーシー高峰のファンクラブに入っているんだって!
と言いました。

え”---っ?  

もちろんファンクラブのようなものではなく
そしてエドガーケイシーのことでした。

その後、先生が講話テープで
エドガーケイシーは自分が言っていることとは
おおよそ正反対のようなことを言っているが
なぜ彼が好きかというと、
それは言っていることが一貫しているからです。
というようなことをおっしゃっていました。

私も瞑想する前はケイシーの本を好きで
読んでいた時期がありました。
でも、言っていることが一貫しているということは
私の認識の中にはまったっくなかったな・・・
と思ったのを憶えています。

私は魂の連続性ということに興味がありました。
それは、誰々の前世が何々だ、
ということに興味があったのではなく

ケイシーがアカシックレコードなるものを基に
相談者の過去生のリーディングの際
繰り返し言っている、
人は自分自身に出会っている
ということに興味がありました。

たとえば意地悪をされたら、前世も含めて
自分がかつて似たようなことをしたかもしれない。
そう考えると、今の自分の中にも
意地悪な何かがあるのかもしれないと思えるからです。

星やカルマの影響を伝えながらも
人の意思の力はそれに勝る、と言っているところ

そして忍耐や愛の大切さ
を繰り返して言っているところが気に入りました。

ケイシー自身の、自分の力を貢献することの喜びや
相談者への誠実さが感じられて
ちょっと弱っていたその頃の自分の気持ちに合いました。

魂の連続性という考え方は
今でも、過酷な肉体や運命を選んだ魂に対して敬意を持ち、
過剰な同情心で相手も自分も苦しむことから
離れるということに役立っています。

その考え方が正しいかどうかより好きか嫌いか、
そういう考え方をしたほうが
自分が楽に楽しく生きられるからですが、
最近は、少し変化してきています。

バランスという考え方、
自分の中の本当の自分がバランスをとろうとして
あまりに一方にいきすぎたとき
引き戻そうとしているという考え方も好きです。

私が魂の連続性という考え方が好き
ということについて
金井先生に言われたのは

『 なんにでも興味をもつのはいいこと、
そのほうが楽しく生きることができるから。
でもこだわるとマイナスが生じます。

今の人生を楽しんだり意味深くしたり
満足するのに魂の連続性は関係ないから。
連続性がわかってもわからなくても
今の人生は幸せにもなるし不幸にもなる。
一方たとえば過去生を信じて
それを今に生かすことはできます。

しかしそうであってもそれは過去生ゆえではなく、
信じる力によるものです。
なんであれ、信じることができれば人間は力を発揮します。』

あるとても背が低く、宗教を毛嫌いしている日本の男性が、
とても背の高い敬虔なクリスチャンで
東洋人を毛嫌いしていた白人であったときの
過去生を想い出したという話を何かで読みました。

それをその男性の潜在意識の
バランスをとるための物語と考えるのも、

輪廻によって自分自身と出会っている
と考えるのも自由だと思っています。

もちろんそんな考えと無関係で生きることができたら
それはそれでいいなと思えます。

でも、テニスでもピアノでも持って生まれた才能の不思議は
連続する魂のなせる技、
そこに縁や今の努力や忍耐、
自由意思の力が加わってくると想像するだけで
楽しい世界です。


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小学4年生くらいの頃だったと思います。
目が見えないという生活はどんなものなのか・・・
私は学校の帰り道
なんと目をつむって家まで帰ってみようと思ってしまったのです。

学校から家までは子どもの足で10分くらいでしたが
途中で大きな溝に落っこちてしまい
とても恐ろしかったのを憶えています。
子どもにしてはかなり深い溝だったように思います。

幸い怪我はしませんでした。
その頃からおバカだったようです。

ただ目が見えないということは大変なことなんだと
子ども心に強く思ったことを想い出します。

テレビ放送の取り扱いや報奨金の違いなど。
パラリンピックとオリンピックとの違いが問題視されていますが

ふたたび生まれ変わるあなたに 第二章

「健常者として学べない多くのことを学ぶために、その子は
 障害児としての肉体を選んできたのです。」

「世間一般の障害児に対する哀れみは、健常者の奢りであることが
 多いのです。それは障害児に対する愛ではなく、
 強者としての援助に過ぎないのです。
 本当の愛は、障害を持っていても持っていなくても、
 すべての他者に対してまんべんなく注がれるものです。
 差別につながらない思いやりが必要です。
 傲慢さにもとづかない気配りが必要です。」

とあります。

私もパラリンピックは
障がいがあるのに、すごい
というのではなく

障がいがあろうがなかろうが
その努力する姿や
喜びや悔しさを表現している選手を見て
一緒に喜んだり悔しがったりしながら応援しています (^O^)/

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ずっと以前インド研修の際、先生とお話しているときでした。
一瞬、目をつむったとき
縁側のようなところにいる日本のお坊さんの姿が瞼の中に見えました。

なんとなく、これは先生の前世かな?と思ったので

「 先生は前世で日本のお坊さんだったことはありますか?」 と聞いてみました。

「 ありますよ 」 とのことでした (@_@)

それ以上のことはなぜか聞きたいと思いませんでした。

私は人の前世が見えたりするというような能力はまったくないので
霊性の高いインドが見せてくれたのでしょうか (・・?

今は前世を今生で楽に生きるための方便にしています。
前世があるかどうかは誰も断定できることではないことですが
その存在を信じることのほうが自然で気持ちが軽くなるので信じています。

児童虐待などの悲惨なニュースを見るにつけ
なんの罪もない幼い子がどうしてあんな目に会わなければいけないのだろうか
と、胸が痛みます。
何かそういうところに生まれることでカルマの解消になったのだろう
と思う事しかできません。
そう思う事で自分の気持ちが軽くなります。

瞑想をしていると人間が本来持っている能力が発揮されやすくなり
自我から離れた心であるなら本当に必要なものは与えられます。
瞑想をしている人の中には
いろいろ体験している人も多いのではないかと思いますが
そういうことが話題に上ることはほとんどありません。

前世を夢や瞑想中に見たりする場合は理屈など関係なく、
自分で確信できるとよく聞きますが

自分の今生に影響のある前世では
あんな性格でそれを矯正したいために
今こういう性格に生まれたんじゃないかなあ~??
と思ったことがあることと

それとは別に自分の前世の姿かな??思えるようなものを
一度だけ見たことがありますが
真偽のほどは定かではありません。

先生は以前

「 自分の前世を知りたければ知りたいと強く思わないといけない 」

とおっしゃていたのですが今は前世を知りたいと強く思えません。

たぶん、どうしても自分の前世がわかると面白いなあ~~!
というような単なる興味本位でしかとらえられないので
そんな心で前世を知ろうとしてはいけないという自戒の気持ちが大方なのと
興味本位なら本当のものは見えないだろうなと
思ってしまっているからだと思います。
それと今が精いっぱいで前世を考えるエネルギーがないのかもしれませんね。
きっと今は必要性を感じないのだと思います。

今回ブログに書くにあたって間違ったことを書いてはいけないと思い
先生にあらためて確認してみました。

「 インドでの会話はよく憶えていないけど
  日本のお坊さんだったことがあるということは間違いないです 
 
  しかし、前世を見たからと言って、前世の存在を主張してはいけません。
  それはサンタクロースと同じで、存在すると思えば存在するし、
  しないと思えばしない、といった類のものだからです 」
 
とのことでした。

私が証明できない前世とカルマを信じているということについては

「 今生の人生にとってプラスになる限りにおいて、それを信じる意味があるのではないですか? 」

 とのことでした。

ちなみにサンタクロースはいないと思っています。

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