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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味

images (2)

歌手の西城秀樹さんが亡くなりました。
子供のころ、ヒロミ派 ゴロー派 ヒデキ派
と分かれたものです。
若いころの派手なアクションや情熱的な歌唱を思い出しました。

ここのところ、他にも続けて有名人が亡くなり
テレビでは、亡くなった人の功績や
どれだけ素晴らしい人だったかなど伝えて称えていました。

生老病死 諸行無常 栄枯盛衰 老いは自然 
ということを感じながら見ていました。

私はそういうことは
自分や自分の身の回りの人を通して観るのが
今はきっと嫌なのだと思います。


以前石原裕次郎も美空ひばりも大嫌いだったけど
亡くなった後に大ファンになってしまった
という人がいました。

それまでは意識にも上がっていないものが
亡くなって初めてその良さに気付くのか
死や終わりを通してでないと気付けないのかと思い
少し違和感を覚えたりもしたのですが

亡くなったり無くなったりすることで
意識するのも自然なことなのかもしれませんね。

私の身の回りでも
行きつけの市場の中の商店が
いくつか立て続けに閉店してしまいました。

おじいさんとおばあさんが営んでいて
おばあさんが病気になったとか
年で腰が痛いからもうできない
などの理由です。
さびしいですが仕方ありません。

私は今、どうも感受性がそちらの方向に
開かれているようです。
少し自分から離れた場所を観て
諸行無常に慣れていこうとしているのだと思います。



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深い瞑想は死と同じだから
瞑想を深めなさいというメッセージは

死んだらどうなるのでしょうか?
という問いへの答えでもありました。

過去も未来も今も無い
あなたも私の区別も境目も無い
元波動、全体性、霊性。
(過去も未来も無ければ今も無いはず)

その全体性からポコっと飛び出た突起物である 
「 個 としての 私 」 の説明をするため、
先生がホワイトボードに書いた絵がよみがえってきました。

もし生きながらにして霊性に立ち返ることができれば
過去も未来もあなたも私も無く
全ては一つなのだから
超能力や超常現象といわれている
超がつくことこそあたりまえ。
すべてお見通しのはずです。

でもあなたや私の区別を持って
過去も未来もあって、
不自由な肉体をまとって個として生きるため
三次元にやってきたのねえ~っていう感じです。

突起物である個としての私は
その前の突起物(生)のときや
そのまた前の突起物(生)もあったでしょう。
もしかしたらこの星以外での突起物のときもあったかもしれません。

ただ全体性から見ればすべてはつながっていて、
そこへ帰るのなら
劣等感や優越感を持つというのは
すごくおかしなことだなと思うのです。

そして、個として見れば確かに
私の前の生、その前の生と
たどることができても
全体性から見れば
どこからどこまでが私の前の生
なんてことはナンセンスな話なのかもしれません。


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何も身にまとわず何も持たず生まれてきて
幸せに生きていたのに
たった20年くらいで幸せを感じなくなってしまって
その苦しみと、不思議な想い、を持っていたとき

友人が、もう読み終えたからといってくれた
一冊の女性雑誌の 特集記事
かの有名なジョセフ・マーフィーの潜在意識を取り扱ったものでした。

良いことを思えば良いことが起きる。
自分の意識が望んだとおりになるのではなく
自分の潜在意識のとおりになっていく。

それまでの私は、潜在意識という言葉は知ってはいましたが
自分にはまったく関係のないものでした。

自分の幸せと自分の在り方や想いは、まったく別物。
そして
自分 と 世界や宇宙 との間にもはっきりと壁がありました。
正しく言えば自分の幸せと世界や宇宙の間の壁ですね。

幼少の頃から家に神棚があり常に手をあわせていて
「そんなことしたらバチがあたるよ」と親から言われることもあったので
悪いことだけは自分と宇宙との間の行き来があると
感じていたようですから。
そういうのを筋金入りのネガティブって呼ぶのではないでしょうか?

若かったせいもありますが
それまでの私の意識には、精神世界、自己啓発、心の問題
などはほとんど存在していません。

幸せはどこからか降ってくるのを待つだけです。
その幸せが降ってこないことには心の平安などは持てないと
堅く誓っていたかのように。

とにかく、本に書かれているとおりにしよう
潜在意識を変えようと思っても

できないのです。
わかっちゃいるけどやめられない

エネルギー不変の法則でしょうか?
自分の中の何かわからない苦しみがあるのに
その上から良い想いでフタをするようなもので
苦しくなっていくばかりです。

テクニック的なことは自分が求めているものではなかったのですが
それでも、精神世界の存在を知ることができて
発心の次に、このときが第二の扉が開かれたときだったと思います。


その数年後、瞑想に出会い初めての波動調整の日
先生 に波動を見ていただきました。

潜在意識だの、ポジティブシンキングだの
私には役にたたなかったことなど
先生には何も言わなかったにもかかわらず

「 いろいろやったでしょ? そういったものはテクニックなんですよ 」
と言われました。


長い長い期間瞑想を続けてきて
心が軽くなってきた今、言えることは

一見テクニックに見えるかもしれませんが
瞑想で心を自由にしながら
行動面、精神面でも学ぶことはとても大切で
相乗効果を感じます。

ひとまわりしてきたって感じです。



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フィギュアスケートでもスノーボードでも
オリンピックで日本選手を応援するとき
勝って欲しいと思いながら、
その選手の力が最高に発揮できますようにと
応援していました。
そうするととても心地よいからです。

潜在意識というものについて私は詳しく語れる立場ではないので
大ざっぱな表現しかでませんが

人間の意識の認識できない潜在意識と
認識できる領域である顕在意識の割合は
潜在意識90% 顕在意識10%

潜在意識は 主語を理解できない。
潜在意識は すべて肯定ととらえる。

ということです。

人の意識の90%をも支配する潜在意識の性質に関して
思考レベルでも感覚的にも、その説を信じています。

主語を理解できないに関して・・・
たとえば真央ちゃんを応援する時
ライバルの選手が転べばいいのにと願ったとしたら
潜在意識は主語である「 ライバルの選手が 」の部分を認識できない。

すべてを肯定してしまうに関して・・・
〇〇は嫌だ~~と思い続けたら
潜在意識はイヤだとは認識してくれず〇〇を肯定する
つまり逆に引き寄せてしまう。

潜在意識には転倒を願う、不幸を願うということがインプットされ
自分が応援したり幸せになってほしいと思っている人が
人生で転倒するのを見ることになるかもしれないし

転倒や不幸を願う私の主語を認識できない潜在意識は
その願いを聞き入れて
私を転倒させたり、人生を転倒させ不幸へと向かわせるかもしれない。

まるで大嫌いなゴキブリを見かけたときのようです。
こっちへ来ないで!!と思うと私の心の声が聞こえているかのように
こちらに突進してくるゴキブリっていったい何なんでしょう。


理屈だけでなく
応援するという温かい想いと、
誰かが失敗すればいいという、いわば呪いともいえる想いを
同時に持つのはなんかヘンな感じがします。

ゴルフのタイガー・ウッズは試合中
相手のショットに対しても「 入れ 」と念じるというのです。
逆を思うと自分のモチベーションが下がるからとか。

にわかには信じ難いと言う人がいましたが
心 技 体 のうち、あれほどの技と体を持ち合わせ
あそこまでの実績を残し続けるアスリートが
並みのメンタル(心)で試合に臨んでいるはずはない、
本当だと思います。
まさに敵は自分の中にある、です。

瞑想をすると同時に
火が熱いと知ってこそ火の中に手を入れることをしないように
私は心の底から、幸せに生きていきたいと願っているので
心の平安を無くしたり、自分を不幸にすることは
したくないです。

リトリートのときのタントラサークルで
その人にとって最もよいようになりますように
というお祈りをするときも心地よさを感じました。
この、心地よいという感覚が拠り所です。

宗教的、精神世界的な言い方をすれば
因果応報、自分が宇宙に投げかけたものが返ってくるだけですね。


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命、 精神、 肉体・行動 の中で

命の領域は自分というものを存続させようとする、
いわば神様が決めたそういう性質のもの。

命のエネルギーは一番大切な根本性である感の波動のエネルギー、
何を目指すか等に関係するとても大切なもの。

瞑想でしか感じることができない、
これが瞑想を毎日しなくてはいけないという理由で
毎日やっていても命のエネルギーを感じようとする瞑想をしないと
やっていないのと同じ。

吸う息で宇宙を取り入れ、吐く息で自分の中のものすべてを出す
という瞑想をすると外と自分を分けているのは皮膚だけということがわり
私というのは存在しないとわかるはず。
至福を感じられる。

宗教、道徳、好き嫌いに縛られて自我で生きるより
本当の意味で「今ここ」だけで全体を現わしているということがわかれば
幸せになれる。

基本である、自分のエネルギーと宇宙のエネルギーは同じ
ということを忘れて
どういう考えをしたらいいか(精神論)、
どういう行動をしたらいいか(肉体・行動)、
プラス思考したり体操したりを先にやるからいけないのです。

以上はセミナーでの命(感)の領域についての講義の内容でした。

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命のエネルギーとは肉体をまとった命というものを含めて
それだけに留まらない宇宙のエネルギーです。

私は眠る前に瞑想をする習慣にしています。
夜になって、身の回りの片づけをしはじめると
もう少ししたら瞑想ができると思い、うれしくホッとします。

瞑想には

うれしいときはうれしいままで幸せ
悲しいときは悲しいままで幸せ
つらいときはつらいままで幸せ
嫌いでも愛してる
あなたも私もない

3次元的努力や工夫では及びもつかない
あるがままを感じることだけがすべての世界が広がっています。

もし、私がこれから瞑想を始めてみようという人に

どうして瞑想は1ヶ月に1度だけ1時間するより
5分でも毎日したほうがいいの?と聞かれたら

命、 精神、 肉体・行動 の3つの波動のうち
精神と肉体・行動の領域は普通に意識できるけれど
在ることを忘れている命(宇宙)のエネルギーにコンタクトできるのが
瞑想なのよ。

携帯電話を1ヶ月1度100時間充電しても
せいぜい2、3日で切れてしまうけど
毎日、1時間充電すれば、毎日話し続けられるでしょ?

幸いなるかな瞑想者。
瞑想をしない日はもったいない。

と答えるでしょう。

人は無意識に深呼吸をします。
私はやったことないのですが瞑想をする時間がない日常生活の中でも、
「 印を結ぶ 」という行為によって、命のエネルギーを感じようという
気持ちに自分をさせてくれる効果があるそうです。

生きることは感じること。
たとえ何があろうと命のエネルギーとつながることができる。
外の世界を内と感じることができる。
それが感の波動を生かして生きる真骨頂です。


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あの時の「自分のことが大好き」というのは

自分のことが大好きなのですが、
あなたと私というような境目などは存在しないようなものでした。

それは 愛 といっていいかもしれないし 
宇宙のエナジー というのかもしれない
ある人はそれを 神 と呼んでいるのでしょうか。

瞑想を始めてまるで無神論者のようになってしまったのは
神はどこか高いところから私たちを見守っていてくださる
というようなものではないと思うようになったからです。


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昨日テレビで作家の林真理子氏が自身の生い立ちを語っていました。
田舎の古びた小さな書店に生まれ
ずっとお店の本を読んでいたそうです。
お母さんも小説家にあこがれていた人で
樋口一葉の再来だか○○の樋口一葉と言われていた
と言っていました。

環境の影響のこと、そして

ふたたび生まれ変わるあなたに
第二章 母の胎内
より

自身のエネルギーによってその場に引き付けられ
その場の波動に同調してこの世に現象化したのです


を思い出しました。

私の母方の祖父の姉は霊感の強い人で
多くの人が相談事を持ち込んだそうです。

家がわりと近かったので時々そのおばあさんのところに
行くことがありましたが
霊感というものを扱っている場という感じではなく
アットホームで居心地がよかったように思います。

10歳のとき、お岩さんの映画を見て恐怖 を感じ
自分に未来が見えたり聴こえるようになったらどうしよう
という恐怖へと向かったのは
その場で霊感というものの存在を知っていたからでしょう。

おばあさんは私が小学校に上がるころに亡くなりました。
強くてやさしそうなおばあさんという記憶がありますが
自分では全然憶えていないのですが、
もの心つく3歳くらいまでは私はそのおばあさんのことを嫌っていて
その私の態度に困り、我が家で神棚を祀ったらどうか
ということになったそうです。

父はかなりの現実主義でした。
今思えば、家の中の決定権はすべてといっていいほど父が握っていたのに
あの父がよく神棚設置に動いたものだと思えます。
母自身も現実的といえば現実的な人といえますが
私の中にはスピリチュアルなものに魅かれる部分と現実性が
両立しているようです。

神様を守っていくようにという強制はされませんでしたが
神棚が家にあったせいか私は神様が大好きでした。
人が見ていなくても神様が見ている
神様は絶対自分を守ってくれると思っていました。

また宇宙や人間の存在を見て神の存在を感じないなんて
信じられないという思いがありましたが
どちらかというと神様を擬人化して心のなかに描いていたでしょうか。

なのに初めて幸せへの希求が降りてきたとき
宗教も神も私の頭に浮かばなかったのはどうしてでしょうか・・・

それが瞑想をするようになって私は一見、
無神論者のようになってしまいました。

この「一見」というところがミソです。
やっぱり神様好き人間ですね。

そしてどんな理由であの場に引き付けられて現象化したのかより
現象化してしまったら
自分の心と選択で幸せになれるんだという意思が大事だと思うのです。

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マントラライブでの先生の講話の内容の一部ををご紹介します。
(ICレコーダーを持っていたわけではないので 
 表現の多少の違いはお許しください)

先生も、この会場にいる人も
おおかた人生の後半なのだから
楽しむ(人生を)ということをしてください。
とのメッセージから始まりました。

私の自我は、

私は人生の後半ですが、後半中のまだ前半ですから。
とついツッコミたくなりながら
聴き入っていきました。


自分は男だとか女だとか
父だとか母だとか
日本人だとか日本人じゃないとか
優秀だとか優秀でないとか

こういったことは

「 私は 何々である 」

という部分の 「 何々である 」
にあたるわけで、つまり述語。

「 私は 」の部分、主語の部分ではないということ
つまり本当の自分の部分ではないということです。

瞑想中に出てくるもの
色々な考え(想い)や感情なども
この述語にあたります。

つまり本当の自分=主語の部分  ではなく
私たちは述語の部分を自分だと思って生きているのが常。

金井メソッドは
瞑想中に何か想いが出てきたら(考えているなと気づいたら)

「もうこれ以上このことについて考えるのはやめよう」
と一瞬思って
そこから離れるということをすることにより

主語にあたる「 私は 」の部分の存在が観えてくる
そして「 私は 」の部分で生きることができるようになる
という瞑想法。

瞑想は宗教とはまったく関係がないのですが
仮に神という言葉をつかうのであれば

神様が何か私たちに与えてくれるとすれば
瞑想は 自分自身を神が何かを与えてくれやすい状態にするため
自分を整えるためのものです。

という内容でした。


私はこのブログで、
金井メソッド瞑想はその人にとって本当に必要なものを与えてくれます
と掲げました\(^o^)/

本当に必要なものの意味は

こんな現実望んでないのにぃ~  と思ってはいても

この世は心で欲しているものではなく
心のとおりのものが自分の世界に現れているもの。

瞑想すれば自身の波動が整い強くなり

欲するものそのものが変化したり
心で欲するものと、心のとおりのもののズレが少なくなる

ということを言いたかったのです。

人生を楽しめる自分になるために瞑想を。
精進をするというのは決して苦行をすることではなく
こういうことだと思っています。

この記事のタイトルはちょっと大げさですが
神の恩寵は本当の自分でいれば舞い降りる!

にしました(^^)v

 

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