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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



1日たった3時間ほどの睡眠でも
すっきり蘇ることができるという
ショートスリーパーと呼ばれる人がいます。
逆に、7時間、8時間眠りたい人もいます。

睡眠も食事も、好みや必要量には個人差がありますね。

瞑想はどうでしょうか?

私は何分瞑想します、なんて言うと
これから始めようとする方には
それが一般的なのだろうかと思われるような気がして
言いづらいところがあります。

人の瞑想時間を先に聞くことで
先入観を植え付けることにならないか?
とも思いますが
あくまでも私の場合はということです。

瞑想教室では先生のCDを使った瞑想を
20分+20分 で合計40分 瞑想をすることが多いです。
CDを使わないときもありました。

目を瞑り、瞑想に入り始めると
いろいろな想いが出てきます。
それらをひとつずつ切って捨てていく作業を続けると
次第に想いと想いの感覚が長くなります。

ただ、心が騒がしい日の瞑想は
想いが出続け、いっこうに収まらないこともあります。
心が静かになる前に眠気に負けたり
瞑想を止めたくなることもあります。

体のどこかを調整しているような感覚を
感じ続けることもあります。
多くの場合、体動も伴いますが、
いつもこういうものだという形はありません。

出てくる想いと想いの間の
自分を観る時間が次第に増え
自分の真ん中に戻るためには
2分や3分では不十分です。

5分なら、たとえて言うなら
メインディッシュを前に食べるのをやめてしまう
コース料理のような気がします。

でも、30分瞑想を1週間に1度だけするくらいなら
迷わず5分瞑想を毎日することを選択します。

メインディッシュを前にやめてしまうからこそ
もっと美味しいものを食べたくなるかもしれません。

そして、2分~3分の瞑想は意味がないかというと
そういうことはなく

電車に乗っているとき
心が騒がしいとき
体がきついとき

瞑想タイムという特別な時間をとらなくても
そっと目を瞑り、心を開き、想いから離れ、自分を観るということを
数分するだけでずいぶん心身が自由になります。


先生の講話でとても印象に残っているお話があります。
講話がカセットテープで送られてきていた頃のお話で
細かな設定には違いがあるかもしれませんが
流れはおおよそこういうものでした。

ある男性が就職のための面接のようなものに
行くことになりました。
その人はそういう場面が苦手だったか
対人恐怖のきらいがあったようです。

その人からの相談を受けて先生は
面接前に(会場についてから)
とにかく1人になるタイミング、場所を見つけて
少しでもいいから瞑想をしてみなさいとアドバイスされました。

言われた通りにその人は、少しの間瞑想をした瞬間
パーッと恐怖心がなくなったというようなことでした。

瞑想はいつもいつもこういった劇的な変化を
もたらしてくれるものとして
期待できるものではないのですが
ときに不思議な大きな力を発揮してくれる場合もあります。

でもそれはきっとその人が日々の瞑想をコツコツ続け
アドバイスを素直に実行したからではないでしょうか。



応援ありがとうございます<(_ _)>






バタンキュー状態で眠りにつく日が4、5日続きました。
私は夜眠りにつく前、ベッドの上で瞑想することを日課にしてるので
夜の瞑想はできなかったということです。

そんなときは意識的に電車の中や湯船に浸かりながら、
鏡の前に座りお化粧をする前のひとときを瞑想タイムとします。

座って瞑想しても、横になって瞑想しても
効果は変わらないと言われています。
電車の中でも湯船に浸かりながらでも瞑想はできます。
ただ、好みの問題として私は夜眠りにつく前の瞑想が一番好きです。

電車の中では読みかけの本を読んでしまいたくなったり、
湯船に浸かり瞑想をしていてもいつの間にか眠ってしまうことがあります。

瞑想をしていて眠ってしまうのは
そのときの心や体が睡眠を必要としているためで
悪いことではないのですが

夜ベッドの上に座った状態で瞑想をするときに
眠ってしまうことはありませんし
本を読みたくなって瞑想をやめてしまうこともありません。

電車の中や湯船に浸かりながらの瞑想は
私にとってはどこか身が入らないものになっているようです。
これは好みの問題です。


数日ぶりにゆったりした気持ちで夜の瞑想を行いました。

翌朝目が覚めたとき、と言ってもまどろみの中
目も開けられず体も起き上がれない、
でも意識がほんの少し戻りつつある
十数分か、もしかしたら数十分の間

「あぁ、軽いな、身体が」

と思っていました。
身体が軽いなら起き上がれば良いようなものですが
身体が動きやすいという軽さではなく表現が難しいのですが
身体の内側がスッキリとしている感じでしょうか。

ところが、実際起き上がるころには
スッキリとしたあの感覚はもうないのです。
このまま眠ってしまいたいと思うけだるさも感じていました。

このとき、瞑想というものの効果の実感や
継続が難しい理由のひとつが見えました。


朝目覚めたときのまどろみの世界は
顕在意識・表面意識と無意識の交差地点
顕在意識がまだしっかり活動していない状態です。

そのようなときには感じられる瞑想の効果が
顕在意識が活動し始めると感じられなくなっているのです。

表面意識では感じられなくても潜在化してくれている。

朝のまどろみの時間は意識的に行おうと思わなくても
大切な瞑想タイムになっています。

考えていたことや迷い、十分消化しきれたと思っていたこと、
一通り結論をつけていたつもりになっていたことを
朝のまどろみの時間に反芻しているようなときがあり

結論をつけたはず、考えを定めたはずなのに気にしていたのか
まだ迷いがあるな、ということがわかります。


先月、瞑想教室に通って来てくださる方に連れられて
これまでこういったことに
あまり興味を持ったことがないように見える方が参加されました。

「初めての瞑想はいかがでしたか?」

CDを聴きながらの瞑想を終えて尋ねてみました。

「なんか、身体が重いです・・・」

悪いことではないし、悪いようになりませんから
瞑想をして感じた感覚をおもしろがっていただきたいと思います。




応援ありがとうございます<(_ _)>





ここのところ瞑想中に起こる身体の動き、体動に関することをあれやこれや書くことが多くなっています。

今回も一見違うように見えて、体動に繋がります。

瞑想に出会う少し前の話です。

自分が理想とする未来に向けて歩むとき、自分が何を望んでいるのか、何をしたいのかしたくないのか、ということがわかっていないと遠回りをしてしまい難しいですよね。

ある日、湯船に浸かりながら自分自身に聞いてみようと思いました。
そして望みをしっかり感じ切ろうと。

でも、できないのです。

頭で、こういうことをして、あれを手に入れて・・・
ということは考えられるのですが。

ちょうど胸のあたりがくすぐったくて、自分の望みを感じることができません。

くすぐったいという感覚は決して比喩ではなく、はっきり、くすぐったさという肉体の感覚、苦痛としてです。

なんかおかしいな・・・

湯船の中で、今日はできないけれど明日になればできるだろう、と思ったことを覚えています。
でもどうしてもできないので諦めました。

後になって思ったのは、原因は2つ。

そのとき頭で希望していることと、本当の自分が望んでいることにズレがあるから。

そしてもうひとつは、自分が何を望んでいるのかということを感じることそのものができなくなっていたから。

後者のほうが大きかったと思っています。

このことがなぜ体動と関係があるのかというと、
身体の苦痛として感じたこということ、そして、瞑想中の体動を通して少しずつ改善されていったからです。


瞑想の師、金井先生が以前

ビジネスマンとして成功をして欲しいものを手に入れても満足というものがなく
なんかおかしいな、
と思われたというお話をされていたことがありました。

私は欲しいものを欲しいと感じることができないという、満足以前の問題でした。

たとえば、筋トレなら筋力アップ
ダイエットなら体のシェイプ
英語の勉強なら英語力など
効果を想像できますが瞑想は違います。

瞑想は長く続けているうちに
こういうところがすごく変わったなと気づくことがあります。
どんなに素晴らしい変化でも気づかないかもしれません。

効果は絶大ですが、そこに瞑想の継続の難しさがありますね。

瞑想のご紹介のところに
「瞑想はその人にとって本当に必要なものを与えてくれます」
という先生の言葉を書いています。

私がこの言葉をチョイスした理由は
こういうところから来ているのだと思います。




応援ありがとうございます<(_ _)>





2018.07.14 お祈り


この度の西日本大雨の被害を受けられました皆さまに
心よりお見舞い申し上げますとともに
亡くなられた方々へのご冥福を心よりお祈りいたします。

身近な方を災害で亡くされた方々の気持ちを思うと
胸が傷みます。


タイの洞窟からはようやく13人全員が救助されました。
ただ、救助隊員1人が亡くなったということがとても残念です。

引率のコーチはタイの元僧侶だったそうですね。
全員が洞窟の中で瞑想をしていたのが良かったのではないかと
マスコミで取り上げられていました。

瞑想者は、「やっぱり瞑想ってすごい」
と思ったかもしれません。

数十人が集合して瞑想をすることがありますが
私はその瞑想がとても好きです。

少年たちの恐怖心も軽減されたでしょうか。

でもなぜ、そんなところに入ってしまったの!
もう少し賢明さがあったなら、とも思わずにいられません。

そして、なんと洞窟にはお祈りのために入った
というではありませんか。

瞑想ってすごいとか、そういう話ではないな
と思って、なんとも言えませんでした。

1日も早くみんなの体力が回復することをお祈りしています。



応援ありがとうございます<(_ _)>





images (3)

今回のリトリートでは
エネルギー、チャクラ、悟りについてのお話しが
特に印象に残りました。

問題の多くがエネルギー不足、
エネルギーが強ければ少々何かあっても
どうってことないもの・・・・というところが特にというか

確かにそうだなと思えました。

リトリート中、久しぶりにお会いした方々と話しているとき
自分の自我の特徴という話題が出ました。

自我の特徴?というと難しい言い方ですが
心の平安を妨害する自分の性格
つまり「欠点」ということだすると・・・
多すぎてひとつに絞れません。

でも、ここ最近の生活の中から
思いついたこととしては
「こだわりの強さ」というものがあります。

自分が気になることには
自分なりにとことん向き合わないと気が済まないのです。
なぜ自分はこのことをここまで突き詰めたいのか?
その理由まで自分に求めて
自分なりの納得がお腹の中できてはじめて
飽きたりあきらめたりということになります。

誰に承認を求めるでもなく
自分の納得が欲しいだけなので
時間の無駄だったり遠回りになったりします。

「今はなんで幸せじゃないんだろう・・・おかしい」
漠然とした自分への疑問の答えも
探さなくては気が済まない性格のおかげで
瞑想に出会えたので
長所も短所も表裏一体です。

ただ、友人たちには「こだわりのない性格だ」
とよく言われます。

そういう人は私の日常生活面や対人関係を見て
言っているらしいのです。

もしかしたらこだわりを上手く隠しているのかもしれませんが
隠せるほどのものですから
やはりこだわりがない部分もあるのです。

人がどれほど日常生活面や対人関係で
こだわりがあるのか、
その人になってみることはできないので
自分との比較はできないと思っていますが

ある部分では〇〇だけれど
ある部分では〇〇ではない。

人の性格は単純ではないものですね。

そして、このブログの内容からでしょうか?
「ブレないですね」と言われますが
実はしょっちゅうブレています。

そんな性格ですが
「自分の内面と向き合うことに関して」
はとても好きです。

「自分の内面と向き合う」という世界へ振り向くと
劣等感も疑問も不安もありません。

どんなに切っても切っても捨てても捨てても
想念が蘇って来ようが気になりませんし

瞑想というのは良い瞑想、悪い瞑想というもはなく
成功も失敗もありませんが
瞑想を始めたころから
自分の瞑想が上手く出来ているかどうか
などということも気になりませんでした。

人がどんなに素晴らしい瞑想体験をしたと聞いても
うらやましいと思ったこともありません。

でも「ビジネスがとても好き」という人は
お金儲けが上手いのでしょうね。
それはとてもうらやましいです。

自我から離れることに努めていて
「まだまだだなあ」とは思っても
「よし!気付いた!ここからだ!」
「早く瞑想したい」
というような気持ちでいられます。
だからといてすぐにどうこうとはなるわけではないのですが。

私の強さは、「精神世界で成長したい」
という気持ちの部分だけで発揮できています。

でも最近は他の面でもかなり強くなってきたかもしれませんが。

瞑想中に劣等感も疑問も不安もなくなる、という意味ではなく

自分の内面と向き合う世界が自分にある
ということが大好きなので、
どんな瞑想かなんて気にならないのだと思いました。

エネルギー(瞑想への)が強ければ
何があってもどうってことはないもの
ということなのかもしれません。






応援ありがとうございます<(_ _)>




ダウンロード (2)

瞑想を始めた頃、
瞑想をしていくことで何を求めるのか
という問いに対しての私の答えは
 「心の平和や平安」 でした。

その頃、悩みがなかったわけではないのですが、
今思えば時間のムダでしたね。
でも人間ってそんなもの。

たとえ幸せだと思える状況や環境が手に入ったとしても
それを失う不安があったり
良いことがあったとしても、
その良いことが続かず、
きっとまた何か不満や不安を見つけて
不幸を探してしまうはずだと思っていました。

心の平和や平安というと
のほほ~んと生きることだと勘違いされそうですが
のほほ~んとは違います。

たとえばアスリートのように、
勝ち負けが重要で
肉体の限界に挑戦する人は

「平常心」と言うことはあっても
心の平和や平安などという言葉は
絶対出てこないのだろうな
と思いながらオリンピックを見ていました。

確かに激しく強さが必要なところに
身を置くことは、心の平和が乱れることが
多くなるのは仕方がないことだと思います。

でも、生まれながらの個性として
アスリートや勝負の世界で生きる人でも

やっていることそのものが
本当にやりたいことで

そんな自分自身に葛藤や不安がなく
充足感がある状態なら
心は平和な状態と言ってもいよい
のではないでしょうか。

前回、瞑想の即効性などと言ったのですが
即効性といっても些細なことがほとんどです。

そして、それは
瞑想以外の時間、日々の生活の中で
自分にとっての幸せは何なのか
自分が求めているものは何なのか
今の問題の原因っていったい何なのか
どうすれば良くなるのだろうか
それらを手に入れるためにはどうすればいいのかなどを

一生懸命考えたり努力することの応えとして
(答えではなく)
瞑想中の即効性があるだけですね。

そういう意味からいうと、
心の平和を目標に長く長く瞑想をしてきて
今あえて思うのは

瞑想は大切だけれど
自分の心や行動がどちらを向いているのか
どういう心境で暮らすのか
ということのほうが大切なのではないかな
ということに行きつきました。

私は瞑想の力なしでは
そこに行きつけなかったということでした。



応援ありがとうございます<(_ _)>







2018.01.31 瞑想の即効性
ダウンロード 11

瞑想の効果は、自分自身ではあまり気づかないかもしれません。

でも、たまに会う人には、瞑想をしている人の変化が
わかるそうです。

瞑想を1枚の布にたとえてみます。

布の縦の糸は
長く瞑想を続けていくうちに
その人の在りようが変化して
その結果、それまでの苦しみや
行き辛さが軽減している
というものです。

そして、私にとっての
瞑想という布の横の糸は
「 これほど即効性があるものを他に知らない 」
というものです。

たとえば、最近では瞑想中に体が大きく動くことは
少なくなりましたが
その代わり、人が見てもわからない
体の中に強めの体動がいつもあります。
気持ちも軽くなります。

これはとても嬉しいことなのですが
ひとたび瞑想に入るときには
そのことを求めないようにという心構えだけは
持つようにしようと思っています。

人様に瞑想をお伝えするとき
瞑想の縦の糸をお話しすると思います。

横の糸は、あくまで個人的感想で
ご利益的に解釈されると困るからなのですが

そういえば、つらそうな人に瞑想をすすめたとき
すぐに自分の苦しみをなんとかしてもらえるものではない
と思われたようで、興味を示してもらえないこともありました。

ただ、私の横の糸には難点があります。
即効性はあるのですが
持続性がまったくないのです。

持続性がないので瞑想を続けなくてはいけません。

横の糸は、よく眠れるとか
なんとなく気が楽になった、など
人それぞれ

もしかしたら、
よくわからないけれど
なぜだか瞑想したくなる
という人もいるかもしれませんね。

そして縦の糸は、長い年月をかけて
見えて来るものだと思います。




応援ありがとうございます<(_ _)>









「初めての人のための瞑想講座」 を受講してきました。

初めての人へ瞑想を伝えるための勉強になる、
と思っての参加でしたが
そんな動機はどこへやら。
テクニックを学ぶような気持ちはなくなっていました。

みんなでする瞑想の実践もあり
初めての方々が瞑想をし、
それについて質問するのを見ていると
とても嬉しかったのです。

いやだいやだといいながら・・・
自問自答です。

人との比較ではなく以前の自分と比較して
瞑想を続けてどう変わったか?
というお話がありました。

私は
 「 深いところとつながっている感覚 」 ですね。




応援ありがとうございます<(_ _)>