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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



瞑想教室のホームページを新たに設けました。
ホームページには先生のユーチューブ動画も埋め込みました
金井メソッド兵庫けいこ教室

金井メソッドのユーチューブの第3回・瞑想と師と弟子の関係
では師を選ぶ目線のお話しであると同時に

瞑想を伝える立場として、
私たちが師としてどうあって欲しいかという言葉として
受け止めました。

こちらのブログもリニューアルしたいなと考えていますが
今日のところはこれまで通りです。

瞑想教室のチラシ作り、ブログ、ホームページなど
金井メソッドをどういう言葉でご紹介したらいいのかと考え
チョイスする行為をしていて思ったのは
それぞれで、微妙に切り口が変わっているということですね。

どこをどう切ろうかな、と考えているわけではないのですが
そのときの自分の在り方が出て来るのかもしれません。




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セミナーで勉強できるのはとても楽しいです。
ああそうか。なるほど~。
と思いながら必死でメモをとっていますが

昨年の10月のセミナーで先生が

世界でノーベル賞をとるような頭のいい人が考えても
何が真理かということは結局わかっていないんですよ。
いろんなところでいろんな人がいろんなことを言っている
ということがその証拠。
その時その時で自分が良いと思うものを選択するしかなく、
ただ何が自分にとって一番いいかという判断が難しいのですが
主義主張にこだわっていなければ間違いがあっても元に戻れるし
瞑想をしていると何が必要かはわかってくるものです。

と話されたのを聴いていて、
私がこんなに長く瞑想の道を続けてこられた理由のひとつが
これだなと思ったのです。

どんなに立派な人の立派な言葉であろうとも
素晴らしい教えであろうとも
それを聴いて自分の心に
響かなければなんの役にもたたず

精神世界に関してだけなのですが
私はこれが真実か、真理かということには
ほとんど興味がなく

好きか嫌いか
自分にとって役に立つか立たないか
そう思うか思わないか
ただ単に、そうしようと思うか思わないか
が重要で

結局自分を観ることこそがすべてというか
自分はそれしか信じていないのではないか?
真理なんてわからないという言葉ほど
誠実でしっかりした土台はないように思えます。

もし百歩譲って真理とはこういうものということを
言葉にできたとしたら
その言葉にした瞬間、違ったものになるはずで

真理とは〇〇です。なんて言われていたら
しばらくは、そうだそうだと喜んでいたかもしれませんが
そのうち嫌になって瞑想を続けていなかっただろうなと思います。

真理なんてわからないという土台の上で
幸せになるためにはこうすればいいですよ、
という学びからの実践が役に立っています。

瞑想っていいですよと伝えたいのですが
私は瞑想をして楽に楽しく生きられるようになりました。
ということしか言えません。



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「 先生はなぜババジを師と決めたのですか? 」

『 ババジの言葉や書いたものに、
  超能力とか何か特殊な能力についてのことがなかったからですね、
  もちろん最初にババジのことをなんかいいなあと思ったのですが 』

私はなぜだろう・・・・と考えるまでもなく、

ためしにやってみた瞑想が与えてくれた
恐怖もなにもない世界とひとつになった
幸福感のおかげ、
私はこの瞑想で幸せになれると思ったからでした。

今でこそ
幸せと超能力は関係ないけれど
その能力を求めることと不幸には
大いに関係があると思っていますが
最初は超能力にただ興味がなかっただけでした。

誤解や批判をあえて承知で・・・

悟った人は
私たちから見たら特殊能力とか超能力
と呼ばれるようなものを持っていないわけがない
と思っています。

どこからどこまでが超能力で特殊能力なのか
線引きも難しく
ある人にとっては超がつくようなものでも
ある人にとってはあってあたりまえ
そういうものだとも思っています。


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結核を患った過去の痛みの恐怖から
母の私の咳への反応の意味が
少しわかった気がしたときからしばらくして

金井先生の講演が大阪の会員の方主催で開かれ
出席したときでした。

先生のお母様がお亡くなりになられて
数カ月後のことだったと思います。
講話だったか、出席者の方の質問への答えの中で

お亡くなりになる半年くらい前に
お母様はインドに行きたいとおっしゃられたが、
先生はインドなんてとんでもない、
それでなくても肝臓を悪くしているのだからと答えた。
それ以上お母様は何もおっしゃられなかったそうですが、

先生は、あれは自分の恐怖心から、
行くことを反対してしまったのだと思う
と、少し涙で声を詰まらせてお話されました。

スピリチュアルな意味での恐怖心とは違う
何かを判断するときに基準とする
必要な恐怖心。

この恐怖心があるからこそ、
高いところは怖いとかウイルスに近づかないように
と思えるのでしょうが

それでも、講演中の先生の心情が
多くの言葉より伝わってきました。

先日、先生が師であるババジに会いに行かれたときのことを
伺いました。

ババジは1日に2、3時間しか起きていないとのことですが
2時間も一緒にいられてとても幸せでした。
師の本質は、何かを言葉で教えることにあるのではなく、
その存在にあるのだと実感できる、
素晴らしい時間を共にできて幸せでした。



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「すべてを受け入れて自由になる」に
会の活動として合宿などを行っていると書かれていました。
(今は合宿と言わずリトリートと呼ばれています)

合宿?

学生のときの部活の合宿は楽しい想い出しか残っていません。
なので、合宿と聞いて
参加してみたいと思ったかというとまったく反対です。

大の大人が合宿なんて、、、、
私の脳裏には、白いトレパンや体操服のようなものを着た参加者が
板の間に座っているイメージが浮かびました。

そのイメージにさえぎられて参加してみようとは
まったく思えませんでした。
救われたいという思いがまだ飽和点に達していなかったのです。

そんな私が瞑想の会に入会する2年くらい前に1度だけ
1泊2日で、あるセミナーに参加したことがあります。
そういったものに参加するのが初めてだったので
ワクワクしながら、そして少し緊張しながら出かけて行きました。

電車やバスの乗り継ぎがあまり上手くいかず
遅刻はしなかったものの、開始時間ぎりぎりにセミナー会場へ入ると
主催者の先生に挨拶をして空いている席に着きました。
かなりの参加者でした。

私はこのとき、セミナー会場に入るや否や
その先生に嫌われたなと思ってしまったのです。

セミナーの中でどういう講義があったのかよく覚えていないのですが
先生は参加者ひとりひとりに
どのチャクラが活性化しているか見てくれました。

その時、同じ部屋になった人と、
帰りの電車が同じだった人たちとはしばらく連絡をとり合いました。
その人たちはセミナーを楽しめたようですが
私は、雰囲気に馴染めず
こういうセミナーにはもう2度と参加したくないと思ってしまいました。
精神世界オタクにならずにすみました。

今考えれば、ただ単に
愛想を振りまくタイプの方でなかっただけなのを
私は嫌われたと受け取っただけなのかもしれないし
自分の心の投影だったのかもしれないと思っています。



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長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の国民栄誉賞受賞、
両氏の信頼関係の厚さを強調していた各メディアの報道を見て
感じたことのひとつとして、

縁は異なもの味なもの

松井選手は少年のころから阪神の大ファン、
特に掛布選手が好きだったそうですが
ドラフトで巨人の長嶋監督にくじを引いてもらい師弟関係が始まりました。

巨人に入りたくて入りたくて浪人までする選手もいるのに。

阪神の大ファンという私の知り合いのある二人の男性いわく
「おやじが大の阪神ファンだったから子どものころから自分も
 自然に阪神を応援していた」
そうです。
松井選手がそうだったかどうかはわかりませんが。


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2012.11.23 存在の愛
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マントラライブ会場 に一歩足を踏み入れた時に感じた
幸福感の正体は何だったのでしょうか?

その幸福感は気持ちの高揚感という類のものとは
違っていました。

言葉で表すなら  

自分自身への愛、 満足感

存在の愛

その場の波動と
そのとき私自身がまとっていたもの(波動)と
落差があったために、その違いを強く感じたのだろうと思います。

感じ方は人それぞれでも

みんなその存在の愛なるものに憧れ
そう在りたいと願い

存在の愛 の種子が自分の中にあるからこそ
感じることができ

遠くから集まって来るのでしょう。

存在の愛は
頭で理解しようとしても、説明しようとしても無理。

子供が溢れんばかりの親の愛に包まれて育ったなら
愛する事を自然に身に付けられるように

その中にザブーンと入ってみるのが一番ですね。


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2011.12.03 瞑想教室
瞑想には導師が必要だと云われています。

それではその師はどうやって選べばいいのでしょうか?

縁。

結婚と仕事は縁だと云われます。

師をはじめ、結婚や仕事のほか人間関係も

すべての出会いはやっぱり縁としか云いようがないなあと思うのですが

縁あって出会った人を師とするかどうかは自分次第だと思います。

どんな素晴らしい師であっても、やはり選ぶのは「自分」のほうだと思います。

金井先生が以前おっしゃていたのは

その師のそばにいたいかどうか・・・だそうです。

そばにいたいかどうかというのは何もずっと24時間その人のそばにいたい

という執着の意味ではなく

たとえば瞑想関係の何かイベントがあったとき

師のそばにいて師から出る波動が心地良く感じるかどうか

だと思います。

金井メソッドでは瞑想教室を、広く一般に瞑想の良さを、

手軽に知ってもらうために開催していますが

 「目的は、瞑想を通して幸せな人生を歩んでもらうためであり、
 一定の教義や戒律などを要求することは一切無く、宗教には一切関係ありません。
 参加・脱退はまったくの自由です。
 ただし、病気その他の理由で、対応する資格が主宰者に無い場合は、
 残念ながら、教室への参加をお断りする場合があります。」

としています。

導師というのは金井メソッドの金井先生ですが

瞑想教室の先生方は金井先生に公認されている方々です。

瞑想に興味のある方はぜひお近くの瞑想教室に連絡していただきたいと思います。
瞑想教室はこちら


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