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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



もうすぐ平成が終わりますね。
心が平和に成ることは良いですが

世の中はその名の通り平らになったようです。
平和は好きですが平らはちょっと・・・
贅沢でしょうか?

私個人としては
平成の時代に瞑想を始め、そこまでは想定内でした。

でもまさか自分が瞑想教室をするとは思いませんでした。
想定外です。

細々の瞑想教室ですが
刺激的です。

次の時代はどういう時代になるのでしょうか?



応援ありがとうございます<(_ _)>






無意識からの声としての夢には
少しばかり気をつけていました。

でも、毎年お正月に見る初夢を
今年は見なかったのです。

年末年始が少しあわただしかったせいか
気持ちが初夢に向かわず
もしかしたら見ていたのかもしれないのに
覚えられなかったのかもしれません。

今年はどんな年になるのでしょうか・・・・

昨年の記録的な暑さの中
幼いころから慣れ親しんだ海に足を運んだ時の
波の音や海風のあまりの心地よさは
このまま時間が止まればいいのに
と思うほどでした。

アスファルトの焼けつくような暑さを逃れて
砂浜を歩けば涼しいとさえ思ったのですが

秋に同じ海に行くと、涼しいと思わなかったのです。
それもそのはず、もともとが涼しい季節だからですね。
心地よいと思えず少しがっかりでした。

過酷な状況下では少しのことでもありがたく思えるのは
人生も同じですね。

今は、奇跡のような毎日かも知れないのに・・・

初夢は思い出せないけれど
秋の海を思い出したということは
今年は、ありがたさを数える年にしなければいけない
ということなのかもしれないです。





応援ありがとうございます<(_ _)>







集中瞑想会の夕食のときでした。

私の向かい側の席に座っていたAさんから

ある「ロックミュージシャンのコンサートのチケットをとったけれど
行けなくなったので、よかったら差しあげますから行きませんか?」

と聞かれました。

コンサート会場は、私にとっては通勤圏内ほどの距離なので
興味があるミュージシャンなら行かせていただきますが・・・

「誰か行きたい人がいたら差し上げてください」

「そうですね、私はちょっと興味がないので・・・誰かに聞いてみます」
ということになり、Aさんは帰ってからチケットを
速達便で送ってくれました。

早速、友人数名にメールで聞いてみたところ
そのうちの一人が
「あまり興味はなかったけれど、家も近いし行ってみたいわ」
と言ってくれました。

でも、その日はどうしても外せない用事がある
ということでした。
残念

チケットが届いてからコンサート当日まで
4日くらいしかありません。

行きたいという人が出てきても
その人に郵送していては間に合わないと思い、
チケットをバッグに入れて持ち歩くことにしました。

いかんせん万人受けする音楽性ではないし・・・
欲しいという人はもう見つからないだろうな。
と思っていました。

Aさんのお住まいからコンサート会場へは
新幹線を乗り継いでやって来なくてはいけない距離です。

そこは以前波動調整も行われていた会場です。



そこまでして行きたいコンサートなのに残念だろうし
コンサートチケット代も無駄にして
おまけに速達料金まで使って・・・

誰かがコンサートに行っても
Aさんは行けなかったのだから同じことだとは
思いません。

思い入れのあるものが活かされるか、活かされないか
というのは大きな違いです。

でも最初に友人にメールで問い合わせをしてダメだったので
正直、チケットをバッグに入れていることも忘れてしまいました。


コンサートの2日前、仕事である小さなお店に出向きました。
そこのオーナーと話しているときに
ふと、お店に貼られているポスターというかチラシに目をやると、
オーナーがミュージシャンを目指している
というようなことが書かれていたのです。

「ミュージシャンもやられているのですか?」
ということから
音楽の話が出てきたので

何気に、「〇〇は好きですか?」

と、そのロックミュージシャンのことを聞いてみました。

「ああ!僕は特に好きではないですけど、
同じミュージシャン仲間ですごく好きなヤツがいます」

と言うではありませんか!

「コンサートのチケットがあるのでその人に差しあげて下さい!」

「ええっ?いいんですかぁ!!!喜びます!!」

と、トントン拍子でした。

その場でミュージシャン仲間に、
コンサートに行けるかどうかの確認をしてもらったわけではないので、
当日、仕事や用事があり行けなかったかもしれませんが。

チケットを手にした
オーナーの写メを撮らせてもらい
チケットのお礼にと、お店の商品をいただきました!
保存が効かない食べものでしたので
Aさんにはお送りできません。
ごめんなさい。

まるで、小さなレベルの引き寄せの法則の実践みたいでした。



応援ありがとうございます<(_ _)>





先日、あるテレビ番組でフランス生まれの
認知症ケアのことをやっていました。

認知症の人は視野がとても狭いそうですね。

認知症の人の視野をテレビ画面に映し出していましたが、
目線の先は丸く見えているのですが
その上下左右は真っ暗でした。

「えっ!こんなに見えてないの?」
驚きでした。

視野が広いと横から話しかけられても
そして、横から急に手が出てきても
事前に察知できるものですが

視野が目の前のほんの少しになっている
認知症の人にとっては
驚きと恐怖になってしまうのは当然ですね。
それでなくても認知機能が落ちているのですから。

そのため、真正面からアイコンタクトをとり
コミュニケーションをとることで
認知機能が回復したわけではくても
周囲の人への困った対応の改善がみられることがある
というケアでした。

その他にも、触れたり支えたりする手の強さや向きひとつで
相手が支配と感じてしまうなど、
見ていて、ちょっとした「目からうろこ」状態でした。

老いても、認知機能が衰えても
人としての尊厳性に変わりはないということが根底にあり
見る 話す 触れる ケアのようです。

経験や体験、よく調べもしないで
メディアが報道していることが正しい情報、
すべて素晴らしい
ということはしないようにしたいとは思いますが

人としての尊厳性を認めていれば
「ケア」としてではなく、「そういう接し方になるよね!」
そして、認知症の人がどう見えているのか、どう感じているのか
たとえそれが認知症というものでなくても
「知る」ということの大切さを想いながら見ていました。

高齢になると若いころより視野が狭くなる
ということは知っていましたが
私は、周囲のお年寄りに話しかけても
気づいてくれず、肩をたたいて知らせることがありました。
それも結構強くたたいていたかも・・・

悪気はなく、そして自分では十分優しくしている
と思ってはいましたが。

私自身は、認知症の介護はしていないので
実際その立場になったときは辛いだろうなと思っています。

ただ、老いても認知症になっても
人間としての尊厳は何ら変わらないと
いうことを、
認識しているのといないのとでは
気持ちや態度が少しは違うのではないでしょうか。



応援ありがとうございます<(_ _)>



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私が育った街には海があります。
その懐かしい海に行く機会がありました。
たまたま海の近くに用事があり
せっかくなので。

若い頃には自分と同じような若者でいっぱいだった海は
今では夏だというのに海水浴客は
ほとんどいません。

海岸沿いをジョギングしている人の方が多かったですね。

記録的な酷暑の中、日傘を差して砂浜を歩いてみました。

砂浜に並行して走る公道を歩くと
焼けつくような照り返しと、むせかえるような空気で
茹であがってしまうのではないかと思うほどなのに
海辺は海風が強く、とても爽やかです。

海の水を手で触り、砂浜に日傘を差したまま
しばらく座っていました。
波の音と風の音しかありません。

このまま時間が止まればいいのに・・・

こういうときには瞑想をするのかと思いきや
瞑想をしたいとは思わなかったのです。

それは、その瞬間瞬間がもう瞑想そのものだったからです。

心は開かれて
風や波の音が想いをかき消してくれます。
自分を観るというより自分そのものでした。

しばらくするとなんにも考えていませんでした。


金井メソッドは、昔々、太古の昔から
人が自然とともに生きていたときから
「瞑想」と名付けずに普通に行っていたことを
先生がすくいあげたもの
そう思いました。

そうして、うだるような暑さの中
家に舞い戻り
喉の渇きをいやそうとスイカを食べました。

清涼飲料水をいくら飲んでも
のどの渇きがなかなかとれないのに
スイカをひとかじりすると、
お腹の底からジンワリ冷やしてくれます。

体が喜ぶ、これこそが自然です!




応援ありがとうございます<(_ _)>




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大人になると、一年があっという間です。

春には「今年ももう半分近く過ぎたね、早いねぇ」
夏には「今年も半分以上過ぎたね、早いねぇ」
そして秋には「今年ももうすぐ終わるよ、早いねぇ」
でした。


年をとると、時間の経過が速く感じることを
物理学的に、あるときは細胞レベルからの話として
聞いたことがあります。

そのときは、なるほど!と思ったのですが
内容は忘れました。


私がまだ6歳のとき、
わが家がこれから引っ越しをする予定の家を
幼馴染の男の子と2人で見に行こう!
ということになりました。

それほど遠くはないのですが
幼い子どもの足では、ちょっときついかなという距離です。
しかも、親には内緒です。

道に立っている電信柱を、ひとつずつ数えながら
歩いて行くことになったのですが

目的地まで、半分くらい来たところで
電信柱が見当たらなくなりました。

「あれ!?なくなった」

自分たちが歩いている歩道沿いに
電信柱が立っていたのですが
道路を隔てた反対側にありました。

その反対側に立っている電信柱も
数に入れるかどうかを、
立ち止まって2人で話し合いました。

そこから私の記憶は、目的地に到着して
これから自分が住む予定の家を指差し、
じっと見つめているところまでとんでいます。

目的地に到着した嬉しさと
親に内緒で来ているので早く帰らなければ、
という感情を持ちました。

目標を達成した後のこと
つまり、どういうふうに帰ったのかということは
全く覚えていませんが
帰ってから、親には全て話しをしたようです。

実は、そのときから遡ること2年くらい前
4歳のときにも、その男の子と
大人の足で、歩いて40分くらいかかりそうな水族園に
歩いて行ってみよう!と試みたことがありました。

このときは、私のお腹が痛くなって
途中であえなく引き返したので、
2度目にして、ようやく小さな冒険が成功したことになります。

ささやかだけれど、当時の自分たちにとっては
冒険とも言える、はじめての出来事でした。

誰でも、そういうことはよく覚えているものなのか
私がおかしいのでしょうか?

私は、周りの人から
よくそんなこと覚えているねと、
笑われたり、呆れられることがあります。

その中には、ついさっきのことも忘れるのに!
という気持ちが含まれているのですが、

弁解するとしたら、
こういうことをしたい、という望みや欲望を持ったこと、

そして行動したこと。

どうしようか?ということになったとき
自分の頭で考えたこと。

目的地に到着したときの
何とも言えない感情や感覚。

くだらないことでもしっかり覚えているのは
考えること、行動すること、感じることという
3つのことをしたからだと思っています。

冒険ばかりはできないです。
長く生きれば生きるほど
初めて見るものは少なくなり
初めて経験する事も少なくなり
惰性で生きていけるようにもなります。

でも、どんなにささやかでも
行動して、考えて、感じることが
いくつになっても 「生きている」 
という実感を持てて

虚しく1年が過ぎ去ることを
防いでくれるのかもしれない
と思っています。





応援ありがとうございます<(_ _)>






冬から春、春からもう夏になろうとしているのですが、
ようやく冬服の衣替えが終わりました。

洗ってあるものしか入れないところに
秋までは着ることはない洋服を移動するという
衣替えといってもごく簡単なものです。

正確にいうとコート類はまだクリーニングに出せていないので
衣替え完了とはいえないかもしれませんが
気持ちはすっきりしました。

物を増やしたくないという気持ちがあるので
気分で買い物をしないようにしようと思っています。
本当に欲しいものしか買わないようになりました。
それでもときには失敗しますが。

衣替えしたときに衣類や小物の整理をして
いらないと思えるものを処分しようと思うのですが
なかなか思い切りがつかないものがあるんですよね。

物は、捨てたくない物は捨てなくていいと思っています。
でも捨てたいのに捨てられないときがあります。
一度手にしたものを捨てるってけっこう大変です。





応援ありがとうございます<(_ _)>





チューリップ


ここのところなにかと忙しくて、ばたばたしていました。
楽しみで続けていたことが、なんとなく義務のようになっていたのに
いざできないとなるとストレスがたまります。
あれもしたい、これもしたいのに!と不満の気持ちも出ます。

趣味でも仕事でも、日々の小さな喜びに繋がる何かでも
続けていくことができるということは
なんてありがたいことなのだろうと思うようになりました。
暇な時には気づかないことですね。
このブログが書けるということもそうかもしれません。

暇なときは心も体もゆるめることができるので好きなのですが、
私は時間があるのだからやればいいのにと思っても
暇なときほど何もしないという癖があるのでゆるーくなりすぎます。
少し忙しいくらいがちょうどいいのかもしれません。
でもゆるーくのんびりもいいですけど。

わが家のチューリップが咲きました。
かわいくてきれいで見ているだけでほっとします。
胸のあたりがパーっと広がるような感じです。
花の力はすごいですね。



応援ありがとうございます<(_ _)>