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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



ずっと以前インド研修の際、先生とお話しているときでした。
一瞬、目をつむったとき
縁側のようなところにいる日本のお坊さんの姿が瞼の中に見えました。

なんとなく、これは先生の前世かな?と思ったので

「 先生は前世で日本のお坊さんだったことはありますか?」 と聞いてみました。

「 ありますよ 」 とのことでした (@_@)

それ以上のことはなぜか聞きたいと思いませんでした。

私は人の前世が見えたりするというような能力はまったくないので
霊性の高いインドが見せてくれたのでしょうか (・・?

今は前世を今生で楽に生きるための方便にしています。
前世があるかどうかは誰も断定できることではないことですが
その存在を信じることのほうが自然で気持ちが軽くなるので信じています。

児童虐待などの悲惨なニュースを見るにつけ
なんの罪もない幼い子がどうしてあんな目に会わなければいけないのだろうか
と、胸が痛みます。
何かそういうところに生まれることでカルマの解消になったのだろう
と思う事しかできません。
そう思う事で自分の気持ちが軽くなります。

瞑想をしていると人間が本来持っている能力が発揮されやすくなり
自我から離れた心であるなら本当に必要なものは与えられます。
瞑想をしている人の中には
いろいろ体験している人も多いのではないかと思いますが
そういうことが話題に上ることはほとんどありません。

前世を夢や瞑想中に見たりする場合は理屈など関係なく、
自分で確信できるとよく聞きますが

自分の今生に影響のある前世では
あんな性格でそれを矯正したいために
今こういう性格に生まれたんじゃないかなあ~??
と思ったことがあることと

それとは別に自分の前世の姿かな??思えるようなものを
一度だけ見たことがありますが
真偽のほどは定かではありません。

先生は以前

「 自分の前世を知りたければ知りたいと強く思わないといけない 」

とおっしゃていたのですが今は前世を知りたいと強く思えません。

たぶん、どうしても自分の前世がわかると面白いなあ~~!
というような単なる興味本位でしかとらえられないので
そんな心で前世を知ろうとしてはいけないという自戒の気持ちが大方なのと
興味本位なら本当のものは見えないだろうなと
思ってしまっているからだと思います。
それと今が精いっぱいで前世を考えるエネルギーがないのかもしれませんね。
きっと今は必要性を感じないのだと思います。

今回ブログに書くにあたって間違ったことを書いてはいけないと思い
先生にあらためて確認してみました。

「 インドでの会話はよく憶えていないけど
  日本のお坊さんだったことがあるということは間違いないです 
 
  しかし、前世を見たからと言って、前世の存在を主張してはいけません。
  それはサンタクロースと同じで、存在すると思えば存在するし、
  しないと思えばしない、といった類のものだからです 」
 
とのことでした。

私が証明できない前世とカルマを信じているということについては

「 今生の人生にとってプラスになる限りにおいて、それを信じる意味があるのではないですか? 」

 とのことでした。

ちなみにサンタクロースはいないと思っています。

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二つの嬉しいこと。

一つ目は

「 あの幸せに楽しんで生きていた子供の頃の心は私の 感謝 の表現
そのものだったんだ\(^o^)/ 」
という気づきです。

私にとっては生まれて生きていることを宇宙へ感謝していたということと同じこと。
そしてそんな心で誰かに相対せばそれがその人への敬意<(_ _)>。

懐かしい再会で純粋な子供心を思い出したり
共時性のことを考えている日の瞑想中に出て来ました。

頭では分かっていたかもしれないのですが実感できないということは
知らないも同然のことだったのでけっこう嬉しい気づきでした。
ただ気づくのがあまりにも遅すぎたかも・・・

私は決して非の打ちどころのない素晴らしい家庭に生まれたわけではないですし
素晴らしい才能に恵まれた子供でもありませんでした。
今は元気が一番の取り柄ですが
幼いころは身体もさほど丈夫ではなかったです。
身体は丈夫でなくてもなぜか活発で明るい性格でしたが
半面どこか悲しみや寂しさや不安を敏感に感じとるような繊細なところもありました。

それでも、どんな場所にいても、誰といても、何をしていても
楽しみや喜びを見つけ出し、学校も友達も大人も動物も大好きで
毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

お人形遊び、おままごと、バレーボール、ボーリングごっこ、ゴム飛び、かかし、
お店屋さんごっこ、ゲーム、作詞をして歌を歌ったり
夏は花火と家の近くのプール、冬はチームをつくって徒競争、
近くのお寺の境内で走り回ったり、誰かの家でゲームをしたり etc
遊びのネタは尽きることがありませんでした。
子供なりに遊びや楽しみを創意工夫していました。

それらの遊びや友達を想い出したというより
楽しんで生きているそのエネルギーみたいなものを想い出すことができました。

それが大人になると、誰かに何かありがたいことをしてもらって、
ありがとうございましたと感謝することや
これは有難いことだから感謝に値すると考えることを覚えただけになっていました。


二つ目の嬉しいこと。

それは、幼なじみのB子が瞑想を始めてくれたこと。

B子は昨年の夏頃から鬱傾向になって
家事もあまりする気がしなくなっていたとのことでした。
引っ越しや人間関係などストレスが多かったようです。
今はずいぶん良くなったと話してくれました。

それならと思い瞑想を勧めてみました。
最初は「今は趣味がないのでやってみようかなあ」という感じで
趣味の一環として始めたようですが

何度かするうちに瞑想がすっかり気に入ったようで
「瞑想をすると、あれこれ考えなくなるね」
「もっと早くに瞑想を知っていたなら鬱なんてならなかったと思う」
と云って喜んでくれています。
ときどき一緒に瞑想をしていますが
これからずっと続けてくれることを願っています。

私がこのブログを始めた理由は
色々なことに興味を持って、趣味も多かったにも関わらず
自分の人生で瞑想との出会いが何にも代えがたいものだと思っていました。
それなのにあまり行動を起こしていなかったなあと少し恥ずかしく思いました。

だからと云って瞑想教室で瞑想を教えるということがどうにも性に合わないのです。

ブログならできるかなあと思い立ちましたが
自己満足にすぎないだろうかとの思いがありましたので
先生に相談してみました。

自分が良いと思うものを人に勧めたいと思う事は人間の自然な心理です

と云っていただけ

とにかく一人でもこのブログを契機に
瞑想を知ってもらえたらいいなあという気持ちで始めることにしました。

ブログがきっかけではないですが
B子が瞑想を知って楽になったと喜んでくれて嬉しく思っています 

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一年半ほど前に幼ななじみのA子が病気で亡くなりました。

家が近所のA子と少し年上のB子と私は幼いころ毎日のように一緒に遊んでいました。

まだ子供の多かった時代です。
近所には同じ年頃の男の子も女の子もたくさんいて
いつもワイワイ遊んでいました。

しかし小学校の高学年くらいになると学校で仲の良い友達ができたり
習い事やスポーツに興味を持つようになり
自然にそれぞれが違う世界を持つようになっていきました。

それでも同い年のA子と私は小学校の6年間、毎日一緒に通学しました。

私はA子とは大人になってからもずっと近くに住んでいましたので
商店街などでばったり会うことも少なくありませんでした。
会うとB子の近況を聞かせてくれたり世間話をしたりしてはいましたが
プライベートでの付き合いは次第になくなっていきました。

そんなA子がある日の夜、フラッと訪ねて来たのです。

「B子の連絡先を知らないか?」ということでした。

A子とB子は大人になってからのほうがより親しく付き合いがあったようですが
ここ数年、些細なことから気まずくなり連絡をとりあっていず
電話番号もわからなくなってしまったということです。
私もB子の連絡先はわからなくなっていました。

A子はなんとなく死を予感してB子に会いたかったのでしょう。
そして私にも最期のお別れを言いに訪ねて来てくれたのだと思っています。

病気のことを少し話して帰って行きましたが
A子が帰った後に感じた嫌な予感は的中しました。
それから3ヶ月後彼女は亡くなりました。

A子の死から丸一ヶ月間くらいは、
私たちが出会った6歳の時のことから楽しく遊んだ日々、
女の子どうしなのに取っ組み合いの大喧嘩をした時のこと
大人になってからのわずかな交流や
最期の会話などが走馬灯のように浮かんできて
悲しくて仕方ありませんでした。

お互いの生きる世界がまったく違ってしまい
疎遠になっていったのは仕方ないとして
それでもどうしてもっとたくさん話しておかなかったのだろうと悔みました。

そしてとにかくA子の死をB子に知らせなくてはいけないと思い、
なんとかB子の居所は探せないかと考えましたが
まったく見当がつきません。

空に向かって

「B子ちゃ~~ん!!!連絡してきて~~」

と心の中で叫んでみました。

B子とも疎遠になっていたとはいえ
人生の転機の時などは連絡をしてきてくれていたので
きっといつか連絡してきてくれると信じて待つことにしました。

昨年は震災後に先生が出版された 「死者はほほえむ」 が 
なんとか私の心を軽くしてくれました。

それがA子が亡くなって1年半後の先日
なんとB子が訪ねて来てくれたのです!!
また近くに引っ越して来たのでした。
A子の死はやはりかなりショックだったようです。

そしてやはり今年に入ってからのことですが
瞑想を始めたころインド研修に一緒に参加した方から
十数年ぶりに連絡をいただきました。

とても懐かしく嬉しいお電話でした。
このブログのことはご存じなかったと思いますので
ひょっこり私の事を思い出してくださったのでしょうか?

懐かしい人との再会や連絡が相次いだので

これは何かの 共時性?

それとも類は類を持って集まるというたぐいのもの?
はたまた、ただの偶然で単なるこじつけでしょうか?

先生によると

偶然か共時性かの判断は自分がその出来事に意味を見いだせるかどうかで決まる


ということですので考えてみることにしました。

私の精神世界への発心は
以前のブログ「発心」で書いた
「 子供のころは幸せに生きていたなあ 」 という想いでしたので

ブログを書くことでその頃のことや
瞑想を始めたころの純粋な気持ちを思い出すことが多かったからかもしれません。

ただ、共時性を考えることで少し嬉しい気づきや出来事に繋がりました。

それは次のブログで書きたいと思います。

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オープン瞑想会のご案内です
3月25(日)東京で「 オープン瞑想会 」があります。
元祐波動会の会員や各地の瞑想教室の生徒さんだけでなく
一般の方も参加できます。
 
数名~数十名の人が、ただ想いから離れ続けるという作業・・・・捨てる瞑想
をすると、不思議に一人で瞑想するときとは違う喜びがあります。
感覚的なことなので言葉に表すのは難しいのですが

私は一人でする瞑想の時の 静けさ
プラス 何か大きな力でその場が包まれるような感覚があります。

あえて言葉で表せば、
今この場所にはどんな災いも及ばないだろうなあという
力強い安心感みたいなものです。

この集団瞑想のときに感じる強いエネルギーは、
集団によって生じるものだそうです。

個々の参加者の微妙に違う個性のエネルギーがより合わさって
一つのものとなるために強くなるためで
それはちょうど、細く弱い一本一本の糸がより合わされれば
強い一本のロープとなるのと同じこと


だということです。

25日は金井先生の元、ぜひその素晴らしさを体感してみてください。
瞑想の実習、瞑想者としての考え方や人生への取り組み方の解説、質疑応答
などもあります。

東京都中野区中野4-1-1
中野サンプラザ研修室4(8F)
℡03-3388-1174

受付  9:15AM
開始  9:30AM
終了  11:30AM
会費  一般の方は 3000円です。


また、瞑想教室 は各地にあります。
月に何度か集団瞑想の時間を持つことは心身にとってとても有意義なことです。



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