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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



瞑想をし始めの頃のことです。

むしょうにチキンが食べたくなり

金井先生に「 最近妙にチキンが食べたくなって困ります 」
と言うと

「 食べたいなら食べたらいいじゃない 」
とあっさり言われ

「 あっ いいんですか 

といった感じでした。

瞑想をし始めているのに
チキンといえども、お肉を食べたいという欲求が強く出てきた
という事に、何かあまりよくないイメージを
持ってしまっていたようです。

もちろん今はそんな考えはまったくありません。

先日、町内会の地蔵盆のお下がりで
各家庭に、いかにも子供が喜びそうなスナック菓子が配られました。

それを食べてから
妙にスナック菓子にはまってしまい

やめられない とまらない 

これまでもたまにはそういうジャンクフード
といわれるものも食べることもありましたが
こんなに食べ続けることはありませんでした。

またその後も、ご近所からいろいろ
おいしいスィーツをいただくことが続き
もともと甘いものには目がないので
うれしいやら
もうそろそろこの食生活にストップをかけないと
と、危機感を持つやら。

幸いといっていいのか
食べ過ぎるとすぐ、口内炎ができたり体がだるくなるので
そうなると「もうやめろ」っていうことだなということで
それで歯止めがかかります。

瞑想をしている人は菜食主義や粗食
のイメージを持たれているでしょうか?

瞑想仲間の中には完全菜食主義の人もいます。

でも私は瞑想をしだしてからのほうが
食欲旺盛になりましたし
お肉に関してはむしろ最近のほうがよく食べています。

ただやはりジャンクフードはあまり食べない方がいいな
と思えます。
というより体がそう言っているように感じますが。
まあ、今回のスナック菓子の食べ過ぎは
そういうこともあるわ
と自分をおおいに甘やかしました。

自分なりの健康維持の方法がいくつかありますが
衣食住に関してはストイック過ぎるのは

自分らしくない

と思っていますので(言い訳)。

金井メソッド瞑想は
瞑想を続けていれば
自分にとって何が一番いいかということが感じられて
その人なりのバランスがとれてきます。

少々バランスが崩れるときがあることも
何かより大きなバランスをとるための
自衛作用であったり、その本能に気づかせるための
きっかけのようにも思えます。

先生の言葉で金井メソッド瞑想者の生活に関して
一番端的でわかりやすかったのは

「 良い意味で自分中心が金井メソッドの考え方です 」

でしょうか。

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先月の提唱者からのメッセージ
お金持ちをめざす生き方について
です。

この「 お金持ち 」の部分は
いろいろな言葉に入れ替えて読むことができました。

私の以前のコンプレックスのひとつ。
一芸に秀でない。

いろいろなものに興味をもち
そこそこ楽しめるのですが
そこそこできるようになると
興味が薄れたり

はた目には、最終段階まで進んだねと
いわれるものもなくはないのですが

それ以上は望まなかったり
また、それを生かそうとはしないのです。

そして誰にでもわかるような具体的な
〇〇〇をめざす生き方
ということをしない、そんな自分が何となく嫌だったのでしょう。


瞑想の会 元祐波動会に入会するときの申込書に
瞑想をしていくうえでの
これからの目的だか、目標だかを書く欄があり

「 自由で平和な心で生きられるように 」

そんなことを記入したように思います。

今一度、改めて記入できるなら

「 本当の愛の元、自由で平和で豊かな心で
  そして物理的にも自由で平和に豊かに楽しく生きたい !! 」

でしょうか。

これが私の木の根っこや幹で
今はこれに気づけたことと、
そのことに忠実に在ろうと思えることが自分の一芸だと自信をもってます

その他の生きていくうえのどんな活動も枝や葉。

ただ、枝や葉があってこそ
木として、人々の目を楽しませ
光合成をして自身や世界を潤すことができるのですから
と思います。


今、興味を持ってやり始めていることを ( 何かは内緒です(^。^) )
がんばってみようかな、楽しく生きることに役立てるために。


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小学4年生くらいの頃だったと思います。
目が見えないという生活はどんなものなのか・・・
私は学校の帰り道
なんと目をつむって家まで帰ってみようと思ってしまったのです。

学校から家までは子どもの足で10分くらいでしたが
途中で大きな溝に落っこちてしまい
とても恐ろしかったのを憶えています。
子どもにしてはかなり深い溝だったように思います。

幸い怪我はしませんでした。
その頃からおバカだったようです。

ただ目が見えないということは大変なことなんだと
子ども心に強く思ったことを想い出します。

テレビ放送の取り扱いや報奨金の違いなど。
パラリンピックとオリンピックとの違いが問題視されていますが

ふたたび生まれ変わるあなたに 第二章

「健常者として学べない多くのことを学ぶために、その子は
 障害児としての肉体を選んできたのです。」

「世間一般の障害児に対する哀れみは、健常者の奢りであることが
 多いのです。それは障害児に対する愛ではなく、
 強者としての援助に過ぎないのです。
 本当の愛は、障害を持っていても持っていなくても、
 すべての他者に対してまんべんなく注がれるものです。
 差別につながらない思いやりが必要です。
 傲慢さにもとづかない気配りが必要です。」

とあります。

私もパラリンピックは
障がいがあるのに、すごい
というのではなく

障がいがあろうがなかろうが
その努力する姿や
喜びや悔しさを表現している選手を見て
一緒に喜んだり悔しがったりしながら応援しています (^O^)/

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