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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



私の知人で
心と病気の関係について話してくれる人がいます。

〇〇な病気になる人は〇〇な心の状態
〇〇な性格。

そして具合が悪くなる体の部位によっても
胃が悪くなる人は〇〇
足が悪くなるときは〇〇なとき

といった具合ですが
医学的根拠はなく宗教でもないようです。

しかしこの話題は実際に何か持病を抱えている人の中には
あまりおもしろくないと思う人もいるようです。

なんの根拠もないのに
自分の心の状態や性格上の欠点をいわれている
ようなものだから無理もありません。

その中のひとつを例にとって金井先生に質問すると

癌になる人は頑固な人が多い
といういい方はできても ( このことが事実だといっているのではなく )
だからといって
頑固な人はみんな癌になるということはできないと
予想通りの答えでした。

しかし先生は、やはり病気ばかりしている人というのは
何か根本的な在り方に間違いがあるのです。

ともおっしゃってはいました。

私なら、病気になったら
医学的検査、処置をするのは当然で
そちらのほうから改善する事に努めようと思います。

そして元波動とのズレが大きくなって
病気という形を表しているのであろうから
性根を入れて瞑想をしよう。
ですが

この「 ズレ 」という部分のはじまりは
心にあるはずなので
それを言葉で表現するとしたら何だろうと思います。

ストレスで胃がキリキリ痛むというし
カッとなって血圧が上がり倒れたひともいる。
心と体の関係は切っても切り離せないと思っています。

数ヶ月前、私は脚が痛くなりました。
整骨院では坐骨神経痛というほどではないといわれましたし
そもそも坐骨神経痛というのは病名ではなく、
症状の名前だということでした。

疲労が引き金になったことには
違いないと思ってはいますが

先日、その知人に会った時に聞いてみました。

もし坐骨神経痛だったなら「 反目する気持ちよ 」とのこと。

反目・・・にらみあうこと。仲の悪いこと。
思い当たるフシ、ありです。

その頃、誰かとケンカをしていたというわけではありませんでしたが
「 いいかげんにしてほしいな(;一_一) 」
という思いを持っていたことは事実で
こちらがそう思えば、思われたほうも
いい気はしていなかったでしょう。

そしてこの知人いわく

でも、イライラが続いていて
このままだと病気になってしまうと思い
イライラするのをやめようと思っても
それって自分の気持ちを我慢することになってしまうので
きついのよね~~

いわゆる感情の抑圧です。

確かに、心の在り方や性格上の欠点を
すぐに直せるのであれば、だれも苦労はしないのです。

そこでやはり瞑想です。

捨てる瞑想で自分の中の余計なものを捨て去れば
本来備わっている健やかさが
否応なしに表れて来ざるを得ないのです。

そういえば
医療関係に従事されていた瞑想仲間の W さんは、

 という字は
やまいだれ の中に 品 の 山  と書くでしょ

ということで食への貪り ( むさぼり ) を示唆されていますが

そいう観点からいえば
ガン と ガンコ 
ゴロも似ていますね。

また、貪りといえば
癌は人間の 欲 に関係するということを
いう人もいました。

こういったことはいろいろな説があるようです。


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立派な人
社会的な成功者
偉業を成し遂げる人

世の中には尊敬に値する人がたくさんいますが

自らの想いから離れること
金井メソッド では、これを自我から離れる といいます)
私にはこれに勝る偉業はないと思えるのです。

一日24時間 
この時間だけは誰にでも平等に与えられているものだとは
よく言われますが

想いから離れる ということも
誰でもいつでも
やろうと思えば平等に与えられている権利です。
こんなすばらしい権利があるという事には
気づかないけれど。

何か障害があるとか
人より過酷な境遇に生まれてなおかつ
その苦しみから離れていこうとする人は
そのぶんより壮大な偉業を成し遂げようとしていると
考えてよいのではないでしょうか?

もし今、ナチスドイツの収容所のようなところに入れられても
自分は何もできないと思わないで済むな
想いから離れるということはどこでも遂行できるから。
なんて、ちょっと極端な発想ではありますが・・・

しかし
実のところ

苦しい想いから離れることも
喜びや幸せな想いからも離れることができることも
同じなのだと思えます。

本屋さんでぼんやり本を眺めていた時に
子供の頃は幸せだったなあ
今・・・なにかがおかしい

とひらめいた
私の 幸せになることへの発心(精神世界への興味の源) である
子供の頃の幸せというのは

子供の頃は楽しいことが多かったとか
幸せな生活をしていたとかということではなく

どんな想いからもいとも簡単に離れることができたという
自分の在りようの自由さを想い出したようです。

うれしくて朝、4時半くらいに目が覚めてしまうほどの
待ちに待った遠足の日。

それでもその遠足の翌日は
クラスメイトと
昨日の遠足は楽しかったね
なんて話もしない
昨日の楽しみはすっかり昨日のことになっていました。

苦しみや不幸な想いから自由になるのと同じくらいに
楽しみや喜びなど幸福な想いからも
いとも簡単に自由になれる

幸せは自分についてきているという感覚。。。

すべてを受け入れて自由になる第4章 
悟りへの出発を妨げているもの  不幸な人は動けない
 

「   幸せな人は自分が新たな世界に飛び込んでいっても
自分と共に幸せはついて来ると思えるのです。
  自分が動けば、幸せも一緒に動くのです   」

取り戻したかったのはまさにこれでした。

ところで、自らの想いから離れることは偉業なのだから
少々できないときがあっても仕方ないかな(これも言い訳です)。

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