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~捨てる瞑想~

ご訪問ありがとうございます!
真理を探究する人はもちろんのこと健やかさ、愛、豊かさなど
現実生活での幸せを求める人にこそ実践していただきたいのが瞑想です。
ここでは金井メソッドのご紹介や精神世界にまつわる話などを綴っています。
ぜひ!一人でも多くの方に瞑想を知っていただきたいと願っています。


金井メソッド「 宇宙の現れとしての本当の自分 」を覆い隠しているものから
離れ余計なものを捨てていく瞑想です。

「本当の自分」で生きることができれば人は本来の能力を発揮でき
苦しみから解放され、現象面での幸せや心の平和を見い出すことができます。


巷では、物を捨てるための解説書や、お片づけ本が大ブームになっていますね。
物を捨てたり片付けたりで人生が変わると説いています。
これなどは、本当の自分でない自分で生きていることを漠然と感じ取り
自分の中の何か余計なものを捨てたいという気持ちの現れです。

どうせなら瞑想で 「 宇宙の現れとしての本当の自分 」 以外の
余計なものを捨ててみませんか?
きっと世界が変わっていくことを実感できるはずです。

私が瞑想をするきっかけになったのは金井系一郎先生の著書
「すべてを受け入れて自由になる」です。

すべてを受け入れて自由になる、幸せに生きるにはこの言葉に始まり
この言葉に終わるといっても過言でないとさえ思っています。
ただ、「受け入れる」ということの意味を取り違えられることが多いのが
残念ですが、本当の意味を理解し実践できればこの世は怖いものなし、
平和で自由な心で生きていくことができるはずです。

1. 瞑想で何を捨てるの?

2. 受け入れるということの本当の意味



望むように生きるために セミナーは

「 汝自身を知れ 」
ギリシャのアポロンの神殿に刻まれていた言葉です。
私たちは2000年もの間
自分自身を知ろうとしてきて、
なかなかわからないのです。
決して簡単なことをしているのではなく
かなり難しいことをしようとしている
ということを知ることが大事です。
でも知ることは難しいけれど
知ろうとすることは誰にでもできるのです。

というようなお話から始まりました。

自分を知ることはとても難しいという言葉は
とてもうれしく感じられました。

もし瞑想をしていても
自分には何もない、何の取り柄もない
などと思っている人がいるとしたら
瞑想をして自分を観ること、
自分を知りたいと思っていることは
すごいことで、
しかも自分を知るということは
自分にしかできないことを
やっているのだと伝えたいです。

悲しみや苦しみなどないほうがいいのは
当然ですが、
その悲しみや苦しみを背負ってきた人は
知るという作業が、より深く濃密になるのでは
ないでしょうか。


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敬虔なクリスチャンの友人が信仰の話をしてくれたとき
当たり前ですが
神、イエス様、信仰、信じる、祈り
という言葉を使っていました。

わかりやすくていいなと思いました。

私がやっている瞑想は。。。。
何かを信じるという道ではないの。
心を開いて想いから離れるということをやって、
本当の自分を観て、
精神集中ではないし、
無念無想になることではないの・・・・

という説明をしながら
言葉で説明すればするほど真理から、
自分が言いたいことから遠ざかっていくような感覚を覚え
何が言いたいのか自分でもわからなくなってきました。

本当の自分を観るということ自体
本当の自分を観ることができているのか
ただ観えていると思っているだけなのか。

想いから離れた直後の
「 あの感覚 」
としか言いようがなく
言葉では説明できないのです。

そして、「 あの感覚 」 自体も
観えてる気になっているだけなのかもしれない
とも思います。

ただ、
観えている気になっているだけかなという思いが
頭をよぎっても
そんな自分をそのまま受け入れられては
いるのだと思っています。


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想いから離れた直後に観える本当の自分というものを
日常生活で思い出すことができるようにと
集中的に瞑想をしてきました。

昼間は琵琶湖の大きな波や風の音が想いをかき消して
吸い取ってくれるかのようでした。

自分を捨てるには自然など大きな存在を感じること。
そうして始めた降り注ぐ星空の下での瞑想では

『 自分が今ここにいる感謝で、幸せ 』

になったかと思ったら、
自分はこういった場面では
最近よく出てくるけど
感謝しなければいけないとどこかで思っているから
今、感謝の念が出てきたのではないだろうか、
感謝の想いというのは
素晴らしいと思っているからではないだろうか、
それなら、なんかいやらしいなあ
という考えが出てくるのです。

素直に感謝の想いに浸って幸せなら幸せを感じて
観ていればよし
その後で出てきたいやらしい考えが
自分にあったかどうかではなく
離れ続けるしかないなと今これを書きながら思っています。

瞑想後、想いから離れた直後の
本当の自分というものをはっきり観られた?
そういった話をほかの方としているとき
「 見れない 」 と答えていました。

映像ではっきり見えたり
本当の私はこうだ!と言葉ですぐに出てくるものでないと
観たと言えないと思っているだけなのでしょうね。

そして本当の私は
あの感謝の念や幸福感に包まれている私ではなく
それがおさまった直後の
もっと深いところに感じられたものだと思っています。

こういったことを感じられる瞑想は
自然の中でしたり、
やはりある程度の長さの瞑想が必要だなと思いました。


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